第303回 その-1 茅ヶ崎市 (下寺尾の遺跡) 2022.12.10

その-1 下寺尾遺跡 ①駒寄川~⑦高座郡衙跡

令和4年12月10日(土)実施

はじめに
コロナウイルス感染症が治まらないことから、現地の状況が分かっている近場での史跡・文化財めぐりを計画しました。
高倉郡衙や古代寺院などの遺跡で名のあがる下寺尾ですが、江戸時代に関する事柄でも興味深いものがありました。
初冬の暖かい日和の中、半日を楽しく過ごしました。

史跡・文化財の説明は茅ヶ崎郷土会の会員が行い、遺跡の説明は茅ヶ崎丸ごとふるさと発見博物館の会の会員にお願いしました。「丸ごとの会」の皆さんにはお礼を申し上げます。

記事の中で、下線のある文はクリックするとリンク先に飛ぶことができます。

コース
茅ヶ崎駅改札前集合(8:50)―香川駅集合(9:10)―(徒歩 以下同じ)―①駒寄川―②川津(かわづ)跡―③西方(にしかた)貝塚など―④七堂伽藍跡碑―⑤下寺尾廃寺跡―⑥西方遺跡(弥生時代の環濠集落跡)―⑦高座郡衙跡(たかくらぐんがあと)―⑧原のサイノカミ―⑨陣屋の池跡―⑩領主の松平氏陣屋跡―⑪郷中(ごうなか)のサイノカミ―⑫おもよ井戸跡―⑬十二天社―⑭白峰寺―⑮鎮守の諏訪神社(解散)
(解散は諏訪神社12:30の予定でしたが、実際はこれを割愛し、白峰寺12:30としました。)

事前の勉強会
令和4年11月15日(火)に市立図書館で行いました。

下寺尾

 明治6年(1873)に下寺尾、行谷、芹沢、堤が第9小区になり、同22年(1889)に遠藤(現 藤沢市)を加え小出村になります。

 小出村は昭和30年(1955)、茅ヶ崎市に合併。昭和39年(1964)県立北陵高等学校が開校し、昭和51年(1976)には茅ヶ崎市立北陽中学校が開校しています。

 小字(こあざ)は東方、西方、南方、北方。

 村組(付き合いの範囲、チョウナイともいう)は池端(いけのはた・いけはた)、原(原チョウとも)、郷中(ごうなか)、北ヶ谷(きたげやと)の四組織があり、それぞれにサイノカミ(道祖神)を祭り、北ヶ谷には十二天が、郷中には天王社などの下宮がかつてありました。 

 原には「塔の下」など古代寺院に関係する地名があり、小出川・駒寄川近くには「砂流し」、西方貝塚そばに「死馬捨て場」(シバハラともいう)」などの地名もあります。

 天保12年(1841)に完成した『新編相模国風土記稿』(以下『風土記稿』と略記)の下寺尾村の項には次のように記されています。なお( )は注記です。

 江戸より15里あまり、当村より北の方2里あまりを隔てて寺尾村(綾瀬市)あり。正保(1644~48)の改めには「上」の字を冠す。しからば当時、彼の村(綾瀬市の寺尾村)に対してこの唱え(下寺尾村)あり、戸数53、地頭 松平八十郎勘英(すけひで)。天正18年(1590)、先祖、孫太夫忠政(2代)賜わる。寛文9年(1669)3月、時の地頭 隼人正重継(4代 しげつぐ)検地す。もう一人の地頭は永井幸之助なり。
 諏訪社 村の鎮守なり。例祭七月二十五日、吉岡村滝岡寺(綾瀬市吉岡にあった真言宗系の当山派修験寺院)持ち。

(この後に、白峰寺の記載がありますが、⑩陣屋跡のところで紹介します。) 
(また、下寺尾の領主は、松平と永井氏のほかに筧氏と幕領がありました。)

 昭和の時代になって古代の遺跡が見つかり、今も発掘調査が繰り返されています。西方貝塚、弥生時代の環濠集落跡、下寺尾廃寺跡・高倉郡衙跡などの遺跡は国指定の史跡となっている部分もあります。

①駒寄川(こまよせがわ)

 下寺尾地区の東隣の堤地区から流れ出す小川です。
 堤、下寺尾はこの小川に添う谷戸の中に展開しています。
 駒寄川は、下寺尾の西の端で、北から流れ下る小出川に合流します。
 この合流するあたりに古代の遺跡が集中しています。

②川津(かわづ)跡

 川津は古代の舟付場。高座郡衙(たかくらぐんが)と古代寺院(七堂伽藍)からなる官衙(かんが)の物資輸送の拠点として、現在の小出川を一部改修し船着場を造営したことが発掘調査によって確認されています。近くに、官衙に関連する物資の一時保管施設と考えられる複数の掘立柱建物跡と多くの住居跡も確認されました。また祭祀を行ったと思われる遺跡も発見されています。

③西方貝塚(にしかたかいづか)

 昭和38年(1963)の発掘調査によって縄文時代前期(7000年前 – 5500年前)の貝塚と竪穴式住居跡が発見されました。貝塚は住居跡内に堆積した小規模のもので、汽水域(きすいいき)に生息するヤマトシジミが中心で、魚骨・獣骨・石器も出土しました。縄文時代前期にこのあたりが海に面していたことを物語っています。
 この付近に、下寺尾廃寺(龍沢山海円院)を創営した僧 尊勝法親王を葬ったと伝わる大塚(入定塚ともいう)があったり、海円院の鐘が沈んでいるという伝説に基づき、この地の寺尾橋は「鐘が橋」と呼ばれていました。

④七堂伽藍跡の碑

 昭和32年(1957)に地元の人や郷土史家など142名(七堂伽藍跡遺跡保存会)、協力団体45団体が中心となって建碑を計画し、建立されたものです。背面の碑文には建立趣意が「今回我等が建碑の趣意は是等の貴重な資料の保存と今後研究家の訪れるのを待つ為に他ならない」と書かれています。この碑の建立が、その後の長期的な発掘・研究と、「下寺尾官衙遺跡群」の国の史跡指定につながっています。

⑤下寺尾廃寺跡

(伝 七堂伽藍跡:しちどうがらんあと)
 七堂伽藍跡碑から相模線にかけての一帯が寺院跡と推定されています。
 昭和53年(1978)を初めに、数回の発掘調査の結果、古代寺院跡と分かりました。講堂跡や塀跡、瓦葺きの金堂跡などが確認され、搭は確認されていませんが、その規模から塔も建てられていたと推定されています。
 寺院の礎石が昔から掘り出されて近辺の方々に移されています。民俗資料館(旧和田家住宅)にも置かれています。
 小和田の上正寺(じょうしょうじ)の「上正寺略縁起」(茅ヶ崎市史1に収録)に七堂伽藍建立の伝説が記されており、寺名は「海円院」で、上正寺の前身とされています。
 『国指定史跡 下寺尾官衙遺跡群』(2019年茅ヶ崎市教育委員会刊)に、創建期は7世紀末から8世紀前半、再建期は8世紀後半、さらに10世紀後半から11世紀代にこの位置に仏堂が建てられていたと考えられている、と記されています。
 発掘調査の終わった場所は、少しずつ買収が進んでいます。

⑥西方遺跡の環濠(かんごう)跡

 西方遺跡は、弥生時代中期後半の「宮の台式」期に限られて営まれた環濠集落跡で、2本の環濠(大きな溝)が確認されています。内側の環濠は推定で東西240m×南北235mで、外側の環濠は推定で東西約400m×南北268mです。環濠集落の規模としては、外側の環濠は南関東最大級の規模となっています。 出土した遺物には土器のほかに石器と鉄器があり、石器の利用から鉄器の利用へと移行していく時期の在り方を示しています。 南関東における拠点集落と位置付けられ、弥生時代中期社会の様相を知るうえで重要な遺跡として評価されています。平成31年2月に国指定史跡になりました。   

⑦高座郡衙跡(たかくらぐんがあと)

 北陵高等学校の敷地から約1300年位前の郡の役所(郡衙:郡家)が発見されました。郡庁院(ぐんちょういん)、正倉院(しょうそういん)4棟、舘(たち)、厨(くりや)などの建物跡が確認され、相模国高座郡の郡衙と判断されています。
 郡衙と下寺尾寺院がセットで遺る貴重な遺跡のため、2015年3月に国指定史跡になり、保存・活用が検討されています。現在も発掘調査が続けられています。

その-2 下寺尾の史跡に続きます。


【参考・引用文献】
・西方貝塚・西方遺跡(弥生時代の環濠集落)・下寺尾廃寺(七堂伽藍)・高倉郡衙に関する調査報告書等
・『明治12年 皇国地誌村誌』下寺尾の項 
・『新編相模国風土記稿』下寺尾の項  (『茅ヶ崎地誌集成』に収録)

report 平野文明会員

今までおこなった史跡・文化財めぐり一覧
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茅ヶ崎の野鳥たち 北部の丘陵編 (038)カワセミ

茅ヶ崎の丘陵で見られる野鳥の写真を送ってくれる朝戸夕子からカワセミが届きました。

朝戸さんからのメッセージ
「カワセミにはよく会えるので珍しくないのですが、20年ほど前に 私が初めてカワセミに会った芹沢の田んぼに居たので記念に撮りました。
この場所にはしばらく来てくれなくなっていました。再び来てくれたのは 環境が良くなったのでしょうか。
野鳥が 住んでくれる環境が守られて、いつかタゲリも戻ってくれたら!と思います。」

カワセミのオス メスの見分け方
くちばしが黒いのはオス 下側のくちばしが赤いのはメス
そこで、この画像はオス
市内の公園の松の木にとまっていた
このカワセミはメス

Wikipediaには次の様に説明してありました。

「水辺に生息する小鳥。
鮮やかな水色の体と長いくちばしが特徴。
くちばしが長くて、頭が大きく、頸、尾、足は短い。
頭、ほお、背中は青く、頭は鱗のような模様がある。喉と耳の辺りが白く、胸と腹と眼の前後は橙色。足は赤い。
海岸や川、湖、池などの水辺に生息し、公園の池など都市部にもあらわれる。古くは町中でも普通に見られた鳥だったが、高度経済成長期には生活排水や工場排水で多くの川が汚れたために、都心や町中では見られなくなった。近年、水質改善が進んだ川では、東京都心部でも再び見られるようになってきている。
水辺の石や枝の上から水中に飛び込んで、魚類や水生昆虫をくちばしでとらえる。エビやカエルなども捕食する。ときには空中でホバリング(滞空飛行)しながら飛び込むこともある。
つがいになると親鳥は垂直な土手に巣穴をつくる。最初は垂直の土手に向かって突撃し、足場ができた所でくちばしと足を使って50-90 cmほどもある横穴を掘る。穴の一番奥はふくらんでおり、ここに3-4個の卵を産む。
北海道で夏鳥だが、ほかの地域では留鳥として1年中見ることができる。」

南部の海辺編にもカワセミを取り上げています。ここをクリック

photo 朝戸夕子
report 芹沢七十郎(編集子)

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茅ヶ崎の野鳥たち 北部丘陵編 (037)サンコウチョウの子育て

茅ヶ崎市の北部丘陵にサンコウチョウが夏鳥として来ています。
このブログにも、北部丘陵編の第一号として、2021年と2023年6月の記事として取り上げました。(リンクはこちら
2023年6月に取り上げたペアが卵をふ化させ、7月には子育てに励みました。
この様子を朝戸夕子さんが撮影した画像で紹介します。
なかなか撮れない貴重な記録です。(編集子の芹沢七十郎)

オス
メス

サンコウチョウについてWikipediaには次のように説明してあります。

地鳴きは「ギィギィ」と地味だが、さえずりの声は「ツキヒーホシ、ホイホイホイ」(月・日・星)と聞えることから、三光鳥と呼ばれている。
日本、台湾、フィリピンのバタン島とミンダナオ島に分布する。日本には、夏渡来し繁殖する。
全長は雄が約45cm(繁殖期)、雌が17.5cm。繁殖期のオスは、体長の3倍ぐらいの長い尾羽をもつ。メスの尾羽は体長と同じくらいの長さにしか伸長しない。
平地から低山にかけての暗い林に生息する。繁殖期には縄張りを形成する。
食性は昆虫食で、林内で飛翔中の昆虫を捕食する。
静岡県の鳥に指定されている。

親(オス)と幼鳥
幼鳥
撮影者の朝戸さんを除く幼鳥
幼鳥が巣立ったあとの巣とオス。オスの長い尻尾はこの址抜け落ちる。

photo 朝戸夕子
report 芹沢七十郎(編集子)

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茅ヶ崎の野鳥たち 北部の丘陵編 (036)タゲリ

かって、茅ヶ崎の田んぼにもタゲリが来ていました。
タゲリが来る田でできた米を「タゲリ米(まい)」と名付けて販売されたりしていました。
しかし近くに高速道路ができたりして来なくなりました。
朝戸夕子さんから、

「平塚市で撮影したタゲリだけど~」
「撮影してから時間がたっているんだけど~」のメッセージとともに送られてきた画像を紹介します。

なお、「南部の海辺編」でもタゲリを紹介しています。リンクはこちらをクリック。(編集子の芹沢七十郎より)                          

撮影地は平塚市内

Wikipediaには次のように説明してあります。

日本には冬季に越冬のため本州に飛来する(冬鳥)。
背面は光沢のある暗緑色、腹面は白い羽毛で覆われる。足は赤黒い。
頭部には黒い冠羽が発達する。頸部には黒い首輪状の斑紋が入る。雌雄ほぼ同色。
河川、湿地、干潟、水田等に生息する。
冬季は小規模な群れを形成し生活する。見通しのよい開けた場所におり、警戒心が強い。
食性は動物食で、昆虫類、節足動物、ミミズ等を食べる。
「ミュー ミュー」とネコのような声で鳴く。
フワフワとした飛び方をする


撮影地は平塚市内

photo 朝戸夕子
report 芹沢七十郎(編集子)

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茅ヶ崎の野鳥たち 北部の丘陵編 (035)ゴイサギとササゴイの幼鳥

このゴイサギのページに「ゴイサギの幼鳥」としてUpした画像は、実は「ササゴイ」の幼鳥だったと、撮影者の朝戸夕子さんから連絡がありました。
その事を訂正して、ゴイサギの幼鳥の写真を載せておきます。(編集子 芹沢七十郎)


茅ヶ崎市の北部丘陵の野鳥情報を送ってくださる朝戸夕子さんからゴイサギの写真が届きました。次の様なメッセージが付いていました。(芹沢七十郎)

「ホシゴイ(ゴイサギ幼鳥)に会えました。」
「何年も、なかなかちゃんとした写真が撮れずにいましたが 、いいかなと思うのが撮れたので送ります。
離れた場所に成鳥もいました。成鳥に出会うのも 稀で、まだ何度かしか撮れていません。撮影したのは、成鳥も幼鳥も芹沢あたりです。」

ゴイサギの成鳥 あっち向いてホイ!
こっち向いてホイ!
しっかりカメラ目線でホホイのホイ!

Wikipediaに次の様に書いてありました。

河川、湖、池沼、湿原、水田、海岸などに生息する。単独もしくは小規模な群れを形成して生活する。
夜行性。昼間は水面に張出した樹上などでひっそりと休む。
繁殖期には、樹上に雄が巣材となる木の枝を運び、雌がそれを組み合わせた巣を作る。日本では4-8月に3-6個の卵を年に1-2回に分けて産む。雌雄交代で抱卵し、抱卵期間は21-22日。育雛は雌雄共同で行う。
動物食で、両生類、魚類、昆虫、クモ、甲殻類などを食べる。夜間水辺を徘徊しながら獲物を捕食する。
夜間に飛翔中に「クワッ」とカラスのような大きな声で鳴くことから、「ヨガラス(夜烏)」と呼ぶ地方がある。

2023年10月5日、芹沢にて。薮で眠っているゴイサギの幼鳥に会いました。起きるまで待ってみました。

下の写真はゴイサギの幼鳥だと思っていましたが珍しい ササゴイの幼鳥でした。場所は 小出川です。(朝戸夕子)

幼鳥は上面が褐色の羽毛で被われ、黄褐色の斑点が入る。この斑点が星のように見える事からホシゴイの別名がある。(Wikipedia)

「南部の海辺編」のゴイサギの記事はこちらをクリック

photo 朝戸夕子
report 芹沢七十郎(編集子)

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