TV取材と言ってもN○KとかT○Sとかに対応ではないのです。
小型カメラと三脚をかついでやって来たのは、東海大学文学部広報メディア学部一年生のお嬢さんお二人。
“ 平塚・茅ヶ崎市内の和菓子をテーマに作品を作るのだ ”
と元気いっぱい。
我が茅ヶ崎郷土会に何を聞きたいの?
に対する答えは、
“ 茅ヶ崎に牡丹餅立て場があって、牡丹餅茶屋とも言っていたということですが、それはいったい何だったのですか?”
それなら答えることができると、ウンチクを傾けたのでした。
傾け過ぎた感もありましたが、対応したのは源会員と平野会員、ほかに同席していたのは今井会員、山本会員。会員外で加藤さんという方も同席されておられました。
質問とウンチク返答は次々と広がって、
粟のぼたもちを出す茶屋があったよ、それで牡丹餅茶屋だな、
などと見てきたようなことも言いだす始末。
“ 南湖立て場もあったと聞いていますが ”
といきなり横から来た。
“ 南湖立て場ではどんな食べ物があったのですか? ”
お二人はいろいろ調べていて、なかなか手強いのです。
エーと、江戸時代にー、何という名前だったかなー、あっそうだ大田南畝という人が、江戸屋という店に休んでー、何か食べたという記録があるんだよなー 何を食ったのかなー
などと答えていると、別の会員から
松露(しょうろ)の吸い物とか、ひしこのなますとか書いてあるんじゃなかったかな
とフォローが出てくる。
こんな調子で撮影は進んだのでした。
それにしても今時の若い人はすごいと思ったのは、テーマは湘南の和菓子であるのに、茅ヶ崎にむかし「牡丹餅茶屋」があったことを見つけて、いつの間にか、昔の旅人は何を食べていたのかを調べ始めるという、その三段跳び思考の大胆さについてでした。そしてこういう発想も必要だなとつくづく思ったのでした。
“ これから和菓子屋さんを訪ねてお話を聞きます ”
の言葉で別れましたが、取材はうまく行ったのかと心配するのは、私たちの年のせいでしょうか。
水嶋善太郎著『小和田郷土物語』平成元年 p82
土御門泰邦卿『東行話説』 茅ヶ崎市史4 p224収録
南湖立場―江戸屋
大田南畝(蜀山人)『改元紀行』 茅ヶ崎市史1 p303~
report 平野会員
photo 加藤さん
〈フロントページへ〉
今、松露について調べたいと思っています。現物の松露を茅ヶ崎ゴル場が出来る前に、曽祖母に連れられて取りに行ったことがあります。
原 俊一様
昔は海岸の松林で松露を拾い、おつゆの実にしたとは古老からよく聞きました。大田南畝が江戸屋でとった昼食に松露を食べたというのは有名な話ですが、その他の文献にある松露の話というのは…。今、思いつくものはありません。何か見付けましたらお知らせします。
郷土会のHPが、データが増えてパンクしてしまいました。この返信も遅くなってすみません。内容はそのままで新しいHPを稼働させました。新HPのURLは「https://chigasaki-kyodokai.com」です。つまりこのHPが新しいものです。URLの書き直しをお願いします。
(編集子 平野文明)