こんにちは!花たち アジサイ4種・コロナ雑記

2020年5月21日(木)曇 オホーツク海のあたりに高気圧があるとかで、初夏なのに寒い一日です。
アジサイの季節がやってきました。
我が家には数種類あって、どれも花を付け始めました。
まだ開き始めで、特有の彩りにはなっていません。色づいてきたら再度掲載するつもりです。

その後のアジサイ はこちら

茅ヶ崎市芹沢から、近所や庭に咲く花たちを紹介します。

ヤマアジサイの仲間
ガクアジサイの仲間
これも同類かな

コロナ雑記
たまたま購読している朝日新聞で毎日コロナ記事を読んでいる。
その中に、「コロナ禍は連帯の好機」〈5月6日、紹介文をup〉・「コロナ禍を乗り切るのに国を超えた連帯を」〈同10日up〉という流れの意見と、
「コロナ禍によってグローバリズムはさらに失速する」〈5月7日up〉 という流れの二群があることに気づいた。前者は希望論、後者は現実論で、相反するものではなくどちらかが正あるいは誤という訳ではない。
5月20日(水)の朝刊13面に掲載された、中国のSF作家の劉 慈欣(リュウ ツーシン)氏へのインタビュー記事(聞き手は西村大輔)は後者に含まれるものとして面白かった。中国と西側諸国 冷戦後で最も嫌悪 楽観論捨て前進を というタイトルだった。抜粋しながら紹介する。

まず、次のような発言で始まる。
今回の疫病は、経済への打撃もさることながら、政治的な影響が大きい。中国と西側諸国との間の矛盾や衝突は冷戦後では最悪。政府間だけではなく、大衆レベルでも無理解、敵意が深刻になっている。さらに、各国の内部でも分断が深刻化している。歴史的に見ても人類が団結したことはなく、異なる陣営に分かれてきた。冷静に見れば、それが人間社会の本質なのかも知れない。」

―どうすれば危機を乗り越えられるか、という聞き手の質問に次のように答えている。
現実を重視し、各国が団結できるという楽観論は捨て、国家間や文明間の対立を極力避けながら災難に立ち向かえる新たな政治・経済のメカニズムを構築しなければならない。」

私(石野)が思うに、これは希望論ではない。国家間、文明間の「対立」は避けるべきものだが、人間社会からなくすことはできないという考えに裏打ちされているから。

そして劉氏は次のように指摘する。
我々の生活は高度な技術で快適になったが、災難にはもろくなってしまった。」

―コロナ禍は社会のあり方にどんな変化をもたらすだろうか? に対して次のように答えている。シビアな意見だと思った。
①生物学や医学分野への投資が増し、技術革新が進む。②監視社会化が進む。③あらゆる災難は社会統制の強化を促す。疫病が続けば米国も強権国家に変質するかもしれない。④未来の社会では人類の交流はますますネットを通じて行われ、これは人類の文化に巨大な影響を及ぼすだろう。」

―新型コロナウイルスが人類に与えた最大の教訓とは? には次の答え。
新型コロナの蔓延は、社会が常に発展していくという幻想を打ち砕いた。」
人類の運命はどうなるか予測がつかない。我々はこれほどまで不確実な世界に住んでいるのだと、全人類が心の準備をしなければならない。これが新型コロナが我々に与えた最大の啓示だと思う。」

ここに私如きの思いを述べても何の意味もないが、「一寸先は闇」という言葉が、隙間だらけの私の頭をいつもよぎっているので、「不確実な世界に住んでいる」という発言には深くうなづいたのである。しかし私に「心の準備」はできない。

私の郷里の九州の山の中のあちらこちらに、自然に生えているのを、一枝持ってきて挿しておいたら根付きました。
アジサイの仲間と思いますが、名前はわかりません。
素朴でいい花です。
これが、その全景です。
名前をご存じの方は、教えてください。

photo & report 石野治蔵

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こんにちは!花たち ハマヒルガオ

5月になるとハマヒルガオの花がきれいです。

茅ヶ崎は相模湾に面していますので、海岸の砂浜のあちらこちらに群落があります。
いっせいに花を開き、まるでピンクの絨毯です。

海岸から抜け出したものが、JRの線路敷にも増えているようです。

今回の「花たち!」は、南湖在住の会員からの投稿です。ありがたいです。

茅ヶ崎郷土会の会員は市内各地におられるので、他の方々もご近所の花たちを投稿してください。是非とも。
でないと、芹沢からばかりでは種切れになってしまいます。 ”フー フー ”(息切れの音)

茅ヶ崎の海岸部を東西に横切る、国道134号の歩道に咲いているハマヒルガオです
撮影場所は、市立西浜小学校と同西浜中学校の間です

photo 尾高会員
report 石野文蔵

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こんにちは!花たち・コロナ雑記 ーセッコクー

2020.05.18(月)どんよりとした曇
しきりにシジュウカラが啼いています。
メジロを交えた集団でやってきて、我が家のメダカ甕でことわり無しの水浴びをするのですが、この時期、夫婦だけで来ます。どこのご家庭も子育てで忙しいのでしょう。
コロナに負けずにしっかり育てろよ~ 

茅ヶ崎市芹沢から、近所や庭に咲く花たちを紹介します。

セッコクが花を付けました
根っこをミズゴケでくるんで、シュロ縄でしばって、梅の枝につるして、水もやらず、もちろん肥料もやらず、風に吹かれてフラフラさせていますが、花の時期にはちゃんと花をつけます
私などは、尊敬のまなこで見てしまいます

コロナ雑記 都会で働く子をおもう 
地方から東京などに出て働いている人たちが大勢います。
私は神奈川県に住んでいますが、子供が東京で働いています。

昨日、17日の朝日新聞、朝日俳壇に次の句がありました。
  短夜や医師に育てし子を案ず
 (東広島市 藤本早苗  長谷川櫂選)

まるで私の気持ちをそのまま句にしたように思いました。

コロナ禍が過ぎると社会がどう変わるかとか、どう変わって欲しいかとか、私たちの生活もどうしなければならないとか、いろんな意見が盛んですが、今、私が願うことは一つ、
早くコロナが去って欲しい ということです。

この時期、ほんとに白い花が目立ちます
昨日は夜の内に雨が降ったようです
早朝、濡れた花びらが、みんな下を向いていました

photo & report 石野治蔵

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こんにちは!花たち ・ コロナ雑記 ノビル(野蒜)

2020年5月16日(土)雨
久しぶりの雨降りです。
ここ数日天気が続いて、地面はカラカラ。その上強い南風が吹いていたので、家の中はザラザラ。
雨に濡れて、みどりが一層あざやかです。

茅ヶ崎市芹沢から、近所や庭に咲いた花たちを紹介いたします。

ノビル  「延びる」ではありません 「野蒜」です
「蒜(ひる)」はネギの仲間を意味します。
ノビル(野蒜)は小さい体ですが、今頃もうネギ坊主をつけています

ノビルにも懐かしい思い出があります。
私が、三つか四つのころ。田舎の我が家は大所帯で、曾祖母、祖母も一緒でした。
ノビルを数本摘んで来ると、どっちかのバアチャンが茹でて酢味噌にしてくれました。子供が好むものではないのでしょうが、私は大好きでした。今でも、ヒトモジのグルグルが好物なのです。

醤酢(ひしお す)に 蒜(ひる)搗き合(か)てて 鯛(たい)願ふ
   我にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの)

  〈万葉集3829 小学館日本古典文学全集9巻p114〉
(石野 訳)酢味噌にノビルを摺って加え、鯛のさしみにつけて食いタイな~
 あのマズイ水葱のあつもの(私、石野は食べたことがありません)などオレに見せるな!

万葉びともノビルを酢味噌にして食べていたのです。私の子供のころと同じです。
 

コロナ雑記 社会が生んだ鬼っ子

朝日新聞では「社会的『正しさ』」論が続いている。5月16日(土)朝刊に「真山仁の視座 13 ―コロナと『正義』」が載っていた。
これを読んで私(石野)の頭の中に浮かんだことは、次の二つ。

①「三密を守れ!」という社会的「正しさ」は、どこから生まれて来たのだろうか?という疑問。
出発点は、記事中にあった次の二つのセンテンスだった。
「『正義』の根拠はどこにあるのだろうか」
「それ―安倍首相の今月14日の緊急事態宣言解除に関する記者会見発言中の〈新たな日常〉 注記は石野―によってまたひとつ、新しい『正しさ』が生まれてしまった」
そこで思い至った。
「三密を守れ!」に限らず、社会的「正しさ」の一つひとつは、権威(政治的権威・行政的権威・専門知識的権威・有名人としての権威・地位的権威・富者権威等々)の発言から生まれている、と。

②社会的「正しさ」が社会を覆うことを、私たちは取り除くことができるのだろうか、という疑問。
真山氏の新聞記事に、社会的「正しさ」の昨今の事例として並んで居たのは、「閉店時間を守れ」「パチンコ店は営業を中止しろ」「県をまたいで移動するな」だった。
これらも、生んだ母親は行政的権威という「社会」である。戦争中もいくつかの社会的「正しさ」が生まれていたように、私たちの社会は、特にそれが大きく混乱するとき、新しい社会的「正しさ」を生み出すようである。
もし、社会的「正しさ」が生じることは、すでに社会の構造の中に埋め込まれていることであれば、それは人知を超えることである。そして、まず差別やパッシングとして私たちの前に現れる。
しかし、社会というものの長い長い歴史の中では、どこかで社会に役に立っているのではないかと思い至った。ウイルスが、その時その場では困った存在だが、生命の進化には欠かせないものであるように。
社会の子供として生まれる個々の社会的「正しさ」が振りまく弊害を取り除くことはもちろん必要だが、鬼子としての社会的「正しさ」を生み出してしまう、母親としての社会もつらい気持ちだろう。
社会的「正しさ」を鬼子にするのは私たちだ。よい子として受け取る策がないものだろうか。

同じ日の同じ新聞の「朝日川柳」に次のような句があった。
石鹸(せっけん)も足りない国をおもいやり (福島県 佐藤国喜)

ノビルのネギ坊主 花は終わってもう小さな種をたくさん包んでいる
これがこぼれて、子供のノビルは増えていく

Photo & report 石野治蔵

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こんにちは!花たち・コロナ雑記 ナツミカンとズイナ

2020.05.14(木)晴 
我が家の朝食準備はNHKラジオの「三宅民夫のマイあさ」に重なります。
その中の天気予報を担当している伊藤さんが、「今頃の季節、木々の白い花が美しい」と言っていました。
そういえばズイナが咲き始め、ナツミカンの花が盛りで、ともに白い花です。

茅ヶ崎市芹沢から、近所や庭に咲いた花たちを紹介します。

2010年にナツミカンの苗木を植えました
2019年、やっと15個ほど実をつけて、今年はその倍くらいなりました
3月に収穫して、5月半ばの今もおいしく食べています
そして今は白い花の、花盛り
この花は実によい香りを振りまくのです

コロナ雑記
昨日(13日)のことですが、朝のラジオでだしいりたまごの話をしていました。
すでにテレビでも放送されたらしいのですが、私は初めて聞くことなので「これは大事だ!」と、ここに書いておきます。

昨今のコロナ騒ぎに乗じて、SNSなどでデマ情報拡散や叩き(バッシング)が起こっているようです。このことは、このシリーズ、今月12日(火)に私がアップした「ツリバナ・ガマズミ」中で取り上げた「社会を覆う『正しさ』」(朝日新聞の記事)の内容に直結する問題と思ったのです。

新聞記事を私なりに言い換えると、「3密を守ることが『社会を覆う正しさ』となっていて、それを守らない人を『自粛警察』が目を光らせて監視している」というものでした。デマ拡散や叩きの問題点の一つは、それを行った人が、「社会の悪を叩いているのであって、自分は良いことをしている」と思っていること、とラジオは言っていました。
そしてラジオは続けました。
「自分に届いた情報を、そのまま友達などに転送するのはやめよう。受け取った情報はまずだしいりたまごに混ぜてみよう」と。

だしいりたまごとは何か?

 その情報は誰(れ)が言っているか?(どこから届いた情報か?)
 出典(ゅってん)はあるのか? あればそれは何か?
 つ発信されたものか? 何年か前の情報が、昨今の情報として来たのではないか?
 プライ(コメント・返信)欄を確認しよう。その情報について間違いが指摘されていないか?
 叩(た)くことを目的とした情報ではないか?
 ず一旦保留しよう。転送するにしてもすぐにはしない。
(こ) 公的(うてき)情報を確認しよう。そのテーマを公的な所でも発信してないか調べてみよう。

実に大事な注意点だと思います。
「茅ヶ崎郷土会のHP作成にもそのまま当てはまることだナ~」と思った次第です。

ズイナ 茶花としても便利です
秋にはこの葉っぱが紅葉して、それもいいものです
自己主張せず、ひっそりとたたずんでいる様子がまたいいものです
スーと延びて、やや下向きですので、掛け花入れにとてもよく合います

photo & report 石野治蔵

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