こんにちは!花たち ・ コロナ雑記 ノビル(野蒜)

2020年5月16日(土)雨
久しぶりの雨降りです。
ここ数日天気が続いて、地面はカラカラ。その上強い南風が吹いていたので、家の中はザラザラ。
雨に濡れて、みどりが一層あざやかです。

茅ヶ崎市芹沢から、近所や庭に咲いた花たちを紹介いたします。

ノビル  「延びる」ではありません 「野蒜」です
「蒜(ひる)」はネギの仲間を意味します。
ノビル(野蒜)は小さい体ですが、今頃もうネギ坊主をつけています

ノビルにも懐かしい思い出があります。
私が、三つか四つのころ。田舎の我が家は大所帯で、曾祖母、祖母も一緒でした。
ノビルを数本摘んで来ると、どっちかのバアチャンが茹でて酢味噌にしてくれました。子供が好むものではないのでしょうが、私は大好きでした。今でも、ヒトモジのグルグルが好物なのです。

醤酢(ひしお す)に 蒜(ひる)搗き合(か)てて 鯛(たい)願ふ
   我にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの)

  〈万葉集3829 小学館日本古典文学全集9巻p114〉
(石野 訳)酢味噌にノビルを摺って加え、鯛のさしみにつけて食いタイな~
 あのマズイ水葱のあつもの(私、石野は食べたことがありません)などオレに見せるな!

万葉びともノビルを酢味噌にして食べていたのです。私の子供のころと同じです。
 

コロナ雑記 社会が生んだ鬼っ子

朝日新聞では「社会的『正しさ』」論が続いている。5月16日(土)朝刊に「真山仁の視座 13 ―コロナと『正義』」が載っていた。
これを読んで私(石野)の頭の中に浮かんだことは、次の二つ。

①「三密を守れ!」という社会的「正しさ」は、どこから生まれて来たのだろうか?という疑問。
出発点は、記事中にあった次の二つのセンテンスだった。
「『正義』の根拠はどこにあるのだろうか」
「それ―安倍首相の今月14日の緊急事態宣言解除に関する記者会見発言中の〈新たな日常〉 注記は石野―によってまたひとつ、新しい『正しさ』が生まれてしまった」
そこで思い至った。
「三密を守れ!」に限らず、社会的「正しさ」の一つひとつは、権威(政治的権威・行政的権威・専門知識的権威・有名人としての権威・地位的権威・富者権威等々)の発言から生まれている、と。

②社会的「正しさ」が社会を覆うことを、私たちは取り除くことができるのだろうか、という疑問。
真山氏の新聞記事に、社会的「正しさ」の昨今の事例として並んで居たのは、「閉店時間を守れ」「パチンコ店は営業を中止しろ」「県をまたいで移動するな」だった。
これらも、生んだ母親は行政的権威という「社会」である。戦争中もいくつかの社会的「正しさ」が生まれていたように、私たちの社会は、特にそれが大きく混乱するとき、新しい社会的「正しさ」を生み出すようである。
もし、社会的「正しさ」が生じることは、すでに社会の構造の中に埋め込まれていることであれば、それは人知を超えることである。そして、まず差別やパッシングとして私たちの前に現れる。
しかし、社会というものの長い長い歴史の中では、どこかで社会に役に立っているのではないかと思い至った。ウイルスが、その時その場では困った存在だが、生命の進化には欠かせないものであるように。
社会の子供として生まれる個々の社会的「正しさ」が振りまく弊害を取り除くことはもちろん必要だが、鬼子としての社会的「正しさ」を生み出してしまう、母親としての社会もつらい気持ちだろう。
社会的「正しさ」を鬼子にするのは私たちだ。よい子として受け取る策がないものだろうか。

同じ日の同じ新聞の「朝日川柳」に次のような句があった。
石鹸(せっけん)も足りない国をおもいやり (福島県 佐藤国喜)

ノビルのネギ坊主 花は終わってもう小さな種をたくさん包んでいる
これがこぼれて、子供のノビルは増えていく

Photo & report 石野治蔵

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