茅ヶ崎市芹沢から、近所や庭に咲く花たちを紹介します。
自宅から歩いて1時間ほどのところに、藤沢市が管理している谷戸(やと)があります。
そう大きくはない谷で、中央に小さな水の流れがあり、その両側は低地(昔は水田)、さらにその両側は傾斜地で雑木林、それを上り詰めると台地上になって畑が展開しています。
ここに都市の中では消え去った小さな生き物や昔からの植物などが生き延びていて、藤沢市はそれらを保護しているのです。
虫が好き、植物が好きという人にとってはワクワクするところでしょうが、私にとっては、この時期だけに花を開くキンランとギンランが見られるということだけで、出かけました。
去年(2019年)も5月1日に訪れました。
野草に詳しいFUKAWAさんが案内してくれました。
その時はキンランもギンランも見ることができました。
しかし、今年はギンランの花は一本も見つけることができませんでした。
雑木林の中が明るくなっていて、倒木を処理したような跡があちらこちらにありました。おそらく去年10月の台風で大きな木が倒れたのでしょう。林内の様子が変わって、キンランより繊細なギンランが影響を受けているものと思われます。
さらに驚いたのは、谷戸への入り口部分が大きく整備されていたことです。立ててある看板には公園整備と書いてありました。
2020年4月3日(金)朝日新聞 に「福岡伸一の動的平衡―ウイルスという存在」というコラムが載っていました。
これを読んで、私は目からうろこが落ちる思いでした。要点を抜き書きすると次のとおりです。
今、新型コロナウィルスは忌み嫌われているが、宿主(例えばヒト)がウイルスに感染するのは、「宿主側が極めて積極的に、ウイルスを招き入れている」からである。
なぜそんな仕組みになっているかというと、「ウイルスこそが進化を加速してくれるから」なのだ。 どういうことかというと、「親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる」
「(ウイルスは)おそらく宿主に全く気づかれることなく、(種の間の)行き来を繰り返し、さまようウイルスは数多く存在していることだろう」
筆者は続ける。
「この(ウイルスの)運動は宿主に病気をもたらし、死をももたらす」
しかし「遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報交換と包摂に役立っていった」
さらに「病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ」
「個体の死は、その個体が占有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である」
このコラムは、私に、生命と死とを宗教とは違う地盤で考えさせてくれました。
photo & report 石野治蔵
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