9 石仏3種 9-1 カラス天狗像のサイノカミ 

 

町田市の南成瀬にカラス天狗像を彫ったサイノカミ(塞の神)が3基ある。背中に羽根をつけているのでカラス天狗と分かる。
内の享保14年と元文2年の2基には「祭神」の文字がある。「祭神」は「サイノカミ」と読ませるものである。
残る1基は「道祖神」と刻まれていて、年号銘はない。「祭神(サイノカミ)」という神がいつの間にか「道祖神」と表記されるようになった例であり、この塔も、この神の歴史を調べる上で重要な位置にある。
神奈川県を含む南関東は全国的に見ても石造道祖神が多く分布する地域だが、今判明している限り、カラス天狗像のサイノカミはこの3例だけである

9-1-1 享保14年(1729)在銘塔 (東京都町田市南成瀬四丁目)

正面
スケッチ
【法量】幅47㎝ × 高97㎝ × 厚27㎝
【向かって左側】年銘
【中央】塔の神名
【向かって右側】村名

【銘】
向かって右側 武州多摩郡
         成瀬村

上部の銘
 (右側) 造立
 (中央) 奉
 (左側) 祭神
向かって左側 享保十四年(一七二九年)
        正月吉日
造立者銘
   木目田治右衛門
   同苗七良左衛門
   同苗仁兵衛
   同苗市良右衛門
   同苗武左衛門
   中里仁左衛門
   同苗三右衛門

公園の中にある。移設されたものだろう。
塔の裏側は粗彫りだから光背型といえるようだ。二つに折れ、顔や手先が傷んでいるが磐座に立つ堂々としたカラス天狗である。
足下に「氏子」として木目田姓5人、中里姓2人の名がある。同姓を続けるとき「同苗◯◯」とするのも茅ヶ崎辺りでは見かけない書き方である。
カラス天狗像を彫るところも珍しいが、塔の中央上部に「祭神」とあり「サイノカミ」と読ませている。この塔が道祖神ではなくサイノカミ(塞の神)であることを示す貴重な一例でもある。

【所在】東京都町田市南成瀬四丁目19番19号 西山児童公園内

9-1-2 元文2年(1737)在銘塔 (町田市南成瀬五丁目 山之根稲荷社境内)

証明
向かって右側面
スケッチ

町田市立第二小学校のそばの山の斜面の稲荷社境内にあって見つけにくい所にある。
この塔のカラス天狗は、先の享保14年塔にあった堂々とした雰囲気はないが、若々しさを感じさせる。

正面、向かって左側 年銘
正面、向かって右側 村の名
造立者銘
【銘】
正面、向かって像の右側に
奉/造立/祭神/ 武刕多摩郡成瀬山之根村
像の左側に
元文二丁巳七月吉祥日 氏子惣施主(一七三七年)

【造立者銘】
足下に八人の名前があるが、石材が傷んでいて読めない文字が多い。[ ]は文字数もわからない部分。
柳田[  ]
武藤加[ ]兵
武藤文[  ]
落合左郎[  ]
落合[  ]
落合[  ]
落合佐[  ]
[    ]

南町田に3基ある烏天狗サイノカミの2例目。
「祭神」の「祭」は「登」のように見えるが、サイノカミと読ませるため「祭」である。
「山之根村」は江戸時代の成瀬村内の集落の一つで『新編武蔵風土記稿』成瀬村の項に、「山根」という小名がある。
西山児童公園内の享保14年銘の烏天狗塞の神から8年後の建立だが、享保のものを手本にして作ったと考えられる。

<所在> 町田市南成瀬五丁目9番43号 山ノ根稲荷社境内
町田市立第二小学校の校舎の前から北東に伸びる登り坂をたどり、国道140号を渡り、そのまま20~30メートル坂に沿って登ると、右手先に稲荷社の赤い鳥居が見える。

9-1-3 年銘なしのカラス天狗像サイノカミ (町田市南成瀬七丁目路傍)

正面
スケッチ
【法量】幅最大値32㎝ × 高さ45㎝ × 厚最大値15㎝

【銘】
正面、像の向かって右側に
奉建立 道祖神
左側に
武刕/成瀬 東光寺村/惣氏子

町田市クリーンセンター正門前の路傍にある。光背型で傷みは少なく天狗の表情がよくわかる。羽うちわを持ち、天狗であることを強調している。
南成瀬地区に3基あるカラス天狗サイノカミの一つで、これは年銘を欠いている。
享保14年(1729)と元文2年(1737)をモデルとしてその後に作られたものと考えられる。像が様式化してまるで子どもの姿となっているが、その分可愛い。
また、前2例は「祭神」と刻字して「サイノカミ」と読ませているが、これは「道祖神」と刻字してある。
江戸時代中期に出現する初期の道祖神は双体像を刻み、時代が下ると「道祖神」と文字で表すように変化する。しかし、人々はそれをセーノカミ、サイノカミと呼んだ。「道祖神」と書きながらサイノカミと読むのはなぜだろうか。また、「サイノカミ」に「道祖神」の文字をあてたのはどういう理由によるものなのか。
「東光寺村」とあるが『新編武蔵風土記稿』成瀬村に成瀬村内の小名の一つとして出てくるので「村」ではない。元文2年銘の事例でも「山之根村」と、小名に「村」を付けている。

現地に建っている説明板

説明板左側の道祖神の説明に「享保8年霜月吉日」とあるが、この年銘は確認できなかった。塔の形と技法から見て享保の建立とはとても思えない。
文中の「薬師堂」は『新編武蔵風土記稿』成瀬村に、
「薬師堂〈除地、五百坪、字上合にあり、三間四方にして巽向きなり、薬師は木の坐像なり、長九寸、弘法大師のの作なりと言い伝う、堂の傍らに本山修験五大院といえるもの居住して、堂を護る、五大院は圖師村大蔵院の配下也〉」とある。
この『風土記稿』の記事をもって修験道とカラス天狗サイノカミを結びつけるのは無理なように思える。

所在】町田市南成瀬七丁目20番のセンチュリーハイツの近く

photo 故坂井源一会員 平野会員 ー平成26年(2014)10月31日現地調査ー
report 平野会員


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