こんにちは! 花たち 2020.08.03 ノカンゾウ

ノカンゾウの花

ノカンゾウと同じ仲間のヤブカンゾウはすでに紹介しました。〈ヤブカンゾウ・ノカンゾウの若葉〉〈ヤブカンゾウの花
小出地区芹沢には両方を見ることができます。
背の高さはどちらも1.5㍍くらいですが、ヤブカンゾウの方が葉が大きく全体が野生的で、ノカンゾウはいささか弱々しい感じがします。
両者の一番の違いは、ヤブカンゾウの花は八重で、ノカンゾウは一重です。
花の色は黄色がかったオレンジで、真夏の炎天下に上を向いて大きく開きます。
派手な色使いですが、自然の中にあっても異様な感じはなく、私は好きな植物です。

次の写真は、田んぼのあぜ道に咲いているノカンゾウです。

あぜ道に咲く群落

photo & report 石野文蔵

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こんにちは!花たち 2020年10月12日 トリカブト・ホトトギス・アケビ・ガマズミ

迷走した台風14号が去って、今日は久しぶりに晴れました。
小出はすっかり秋です。秋の花たちが咲き出し、また、実やタネを付け始めました。


トリカブト

初夏のころまでは順調に育っていました。
それが、8月の猛暑のせいでしょうか、わずかの枝葉を残して地上部が枯れてしまいました。
その残った部分に数輪の花をつけました。
写真は同じ花の裏と表です。
花の形が兜(かぶと)の形に似ているところが、名前の由来のようです。
猛毒とは思えない、やさしい色と形をしています。

ホトトギス

こちらは強烈な色使い。
生命力は旺盛で、毎年いたるところに芽吹いてきます。
そのまま置くと大きくなるので初夏のころに刈り取ります。
少し日当たりの悪いところに育った花がきれいです。

アケビ

写真のアケビはちょうど食べ頃です。
と言っても黒いタネがびっしり詰まっていて、それを包んでいる白い部分が甘いのです。
子どものころ、「アケビ取り」は私たちの大事なあそびでした。
今では、この皮を油で炒めて食べるのが好きです。ほろ苦くていい味です。
アケビの花はこちら

ガマズミ

赤い実がきれいです。
ホームページにしばしば写真を提供してくれる前田会員は、子どもの頃、この実をほお張ったと言っておられました。
霜を被って、黒く変色した頃がおいしいそうです。私もまねてみようと思っています。
ガマズミの花はこちら

photo & report 石野文蔵

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こんにちは! 花たち ―ツリバナ(吊花)―

茅ヶ崎市芹沢から、近所や庭に咲く野草たちを紹介します。

前回の投稿が今年の7月27日、ヤブラン・ヤブミョウガでしたのでふた月ぶりのUpです。

コロナ禍はまだ続いています。日本では感染の拡大は収束傾向だそうですが、ヨーロッパなどでは拡大していると報道されています。
8月、9月の猛暑にもまいりました。
昨日通過した台風12号の影響は比較的少なかったようですが、その前の大雨と台風では多くの人が被害を受けました。
このように、私たちはいろいろの難事に遭遇していますが、何とか過ごしていくしかありません。

そんな中、季節はめぐってようやく秋を迎えました。
5月12日にツリバナの花を紹介しました。今、赤い実を付けています。

photo & report 石野文蔵

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こんにちは!花たち ヤブラン(藪蘭)・ヤブミョウガ(藪茗荷)・コロナ雑記

茅ヶ崎市芹沢から、近所や庭に咲く野草たちを紹介します。

2020年7月27日(月)
昨日は強雨に見舞われました。曇っていますが今日はまだ降りません。

ヤブラン

コロナ雑記

朝日新聞 2020年7月8日(水)に水島治郎さん(千葉大学教授 政治学) 「『中抜き政治』巧みに活用」という文章が掲載されていました。

「中抜き政治」とは聞き慣れない言葉ですが、著者の説明は次のとおりです。

日本では、町内会、婦人会、青年団、農・商工団体、労働組合…(これらを「中間団体」という)に属する人びとが、団体を通じて政党政治に関わってきた。それがこの30年でこれらの団体は急激に衰えた。今は、情報技術(IT)のSNSなどを駆使して有権者に直接メッセージを届ける政党や政治家が現れて「中抜き政治」の時代となった。それがコロナ禍で一気に加速した。

私(HP編集者)は、「そりゃそうかもしれないけどな~」と軽く読んでいたのですが、ビックリしたのは最後の「経済や社会でもコロナ禍は『中抜き時代』を一気に招き入れると見ています」の数行でした。

コロナ感染者が増えて、私の所属している自治会も、氏子組織も、地域の他のいろいろな団体も活動を止めています。(これらを通じて特定の政党に結びついている訳ではありませんが。)そして、私にとって一番強い影響を受けているのが、我が茅ヶ崎郷土会の活動休止です。

私たちの会が幾つかの面で運営上の問題を抱えているのは、コロナ禍の前からでした。やっていることは違っていても、同じ問題を抱えている市民の団体・サークルが増えているなと感じていました。私たちのような市民活動団体も、「中間団体」のように衰退期を迎えているのかも知れません。そこにコロナ禍は強く影響しています。現に、活動を自粛していてそのまま解散した勉強会もあるのです。

生き残ることが出来るのか、出来ないのか、コロナ禍はそれを振り分ける網の目のように思えるのです。

ヤブミョウガ

photo & report 石野文蔵

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こんにちは!花たち フウラン・コロナ雑記

茅ヶ崎市芹沢から、近所や庭に咲く花たちを紹介します。

2020年7月6日(月) 朝から終日雨。
九州はまた水害で大変なことになってしまった。特に熊本県の被害が大きい。
私の故郷も熊本県です。町の中央を川が流れているが、今のところ決壊したという話はありません。
人吉などでは今後の復旧作業も大変です。皆さんたちの苦労に、何と申し上げていいのか分かりません。

フウランの白い花
熊本の実家の庭から移したものです

コロナ雑記
6月27日(月)の朝日新聞に、佐伯啓思(けいし)さんが「死生観への郷愁」というコラムを書いています。
コロナ関係の記事で、宗教に触れた文章はあまり眼にしませんでした。そのことを正面からあつかった文章ではありませんが、私には興味深かったので、いつものように抜粋します。

 昔の日本人にとっては、疫病にせよ災害にせよ悪霊の祟りであった。その時、人は神を祀り、鎮魂の祭りを執り行い、大仏や薬師如来を造り、また弥陀の本願にあずかるべく一心に念仏を唱えた。それでも災害や疫病が無慈悲に人の命を奪う時、人は、この不条理を「世の定め」として受け入れるほかなかった。人知は限られており人力も限界がある。人は自然や天の前に頭(こうべ)を垂れ、神や仏にすがるほかなかった。そしてこの世の不条理な定めを、昔の人は「無常」といった。
 (昔の日本人は)とうてい受け入れがたい不条理な死をも受け止め、死という必然の方から逆に生を映し出そうとした。死を常に想起することによって、生に対して緊張感に満ちた輝きを与えようとしたのである。
 そのかわりに、今日、われわれの生と死に対して責任をもつのは国家なのである。17世紀イギリスの哲学者トマス・ホッブズが、その国家論において、国家とは何よりもまず人々の生命の安全を確保するものだ、と定義して以来、近代国家の第一の役割は、国民の生命の安全保障となった。われわれは自らの生と死を、自らの意思で国家に委ねたことになる。
 かくて、コロナのような感染症のパンデミックにおいては、国家が全面に登場することになる。
 ドイツの法学者カール・シュミットのいう例外状態、つまり国民の生命が危険にさらされる事態にあっては、私権を制限し、民主的意思決定を停止できるような強力な権力を、一時的に、政府が持ちうるのである。これが、ホッブスから始まる近代国家の理論である。
 そして、いささか興味深いことに、今回、世論もメディアも、政府に対して、はやく「緊急事態宣言」を出すように要求したのである。ついでにいえば、普段あれほど「人権」や「私権」を唱える野党でさえも、国家権力の発動を訴えていたのである。強権発動をためらっていたのは自民党と政府の方であった。
 (今回の緊急時代宣言は一時的なものでかつ「自粛要請」だったが)真に深刻な緊急事態(自然災害、感染症、戦争など)の可能性はないわけではない。その時に、憲法との整合性を一体どうつけるのか、憲法を超える主権の発動を必要とするような緊急事態(例外状況)を憲法にどのように書き込むのか、といったそれこそ緊急を要するテーマに、野党もまたほとんどのメディアもいっさい触れようとしないからである。
 国家はわれわれの命を守る義務があり、われわれは国家に命を守ってもらう権利がある、といっているように私には思える。ここには自分の生命はまず自分で守るという自立の基本さえもない。もしこれが国家と国民の間の契約だとすれば、国民は国家に対して何をなすべきなのかが同時に問われるべきであろう。


要旨は以上のようでした。そして最後に次のようにまとめてありました。

 少なくとも、古人は、その前で人間が頭を垂れなければならない、人間を超えた何ものかに対する恐れも畏(おそ)れももっていた。そこに死生観がでてきたのである。われわれも、こころのどこかに、多少は古人の死生観を受け継ぐ場所をもっておいてもよいのではなかろうか。

福岡伸一さんのコラムで、ウイルスをこの世からなくすことは不可能だと知りました。その上に、人は死から逃れることができないこともあきらかです。いくら科学が発達しても、人知には限界があることを、私は今回のコロナウイルス騒ぎで教えられました。

photo & report 石野文蔵

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