23ヶ村調査 中島の大川跡と堤防を探して 18/1/9 晴

現在中島(江戸時代は中島村)を調べています。
相模川河口に近く、洪水との戦いを強いられてきました。
村の中に「大川淵」という小字(こあざ)が南北に延びています。おそらく昔むかしの相模川本流の跡だと思われます。この日の調査は、「大川」跡をたどることと、相模川から中島を守る堤防を歩くことでした。

セートヤキ(だんご焼き)の日が近く、中島に4カ所あるサイノカミ(道祖神)はどこも集められた御飾りに埋まっていました。



「大川」の始まりは、高い位置を走る東海道本線の脇にあり住宅と畑の間にある不自然な細長い地所です。

それが次第に南に下ると、水はありませんがいかにも流れの跡と思われる溝になります。

その先は「親水公園」。南北に長く数十メートルの流れが現れます。


親水公園の南側はゴルフ場。中には入れませんがゴルフ場に大きな池があり、これも「大川」の名残(なごり)です。

古い地図で見ると「大川」は中島中学校の東側で小出川と合流していました。産業道路と中島・柳島を結ぶ道路が交差する当たりです。
次に相模川の洪水から守る堤防を歩きました。堤防は道路になっていて、西側はゴルフ場、その向こうを相模川が流れています。
もうすぐ新スポーツ公園に移りますが「中島スポーツ公園」の前を南北に延びる高まりも堤防のようです。
私たちが中島を歩いた日は良い天気で大山がきれいに見えていました。しかし、風の強い日でした。

photo & report  平野会員

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