第300回 その-1 横浜市港北区(雲松院・小机城址)2022.3.12

令和4年3月12日(土)
横浜市港北区に①雲龍院 ②小机城址、都築区に③茅ヶ崎城址と④大塚・歳勝土遺跡を訪ねました。
ここに、その-1として①雲龍院と②小机城址を報告します。


その-2 ③茅ヶ崎城址と④大塚・歳勝土遺跡はこちらから

この報告は現地に立ててある説明板の文章と画像に基づいています。掲載にあたって文章は簡略化し、画像は加工してあります。

茅ヶ崎城址で

【今回の史跡・文化財探訪の趣旨】
1.県内の城跡の探訪
2.横浜市都筑区に、私たちが住む茅ヶ崎市と同じ地名があるので、そこがどのような様子か確認すること。
海辺の茅ヶ崎市の地名の由来は、「茅(チガヤ)の生える土地が海に面していること」と言われるが、都築区の「茅ヶ崎」は海から離れており、地名の由来を考えるなら、両所に適応する説でなければならないだろうと考えたからである。

①臥龍山雲松院(曹洞宗) 横浜市港北区小机町1451


横浜駅で横浜線に乗り換え、小机駅で下車し、小机城址を訪ねる前に探訪した。
山門前の説明板(平成2年 横浜市教育委員会)に次のように記されていた。

 小机城は、文明10年(1478)に扇谷上杉家の家宰太田道灌に破られてから廃城となっていたが、大永4年(1524)頃、小田原北条氏の勢力圏に入り、南武蔵の軍事上や、経済上の重要地点として修築され、北条氏の重臣笠原越前守信為(のぶため)を城代とした。
 信為は、父能登守信隆(のぶたか)の追善のために、季雲を招いて開山とし、自らが開基となり曹洞宗の寺院、臥龍山雲松院を建立した。
 山門横の通用門には、月舟宗故筆の「臥龍山」、本堂正面には、東皐心越の「雲松院」の額があり、共に名僧の誉れ高い禪師の筆になるものでる。
 墓地には、笠原家代々の墓所、ならびに池辺村の地頭門奈氏墓所がある。

月舟書「臥龍山」の額が掛かる通用門

横浜市指定の文化財 本堂・山門および転籍についての説明板(平成26年 横浜市教育委員会)が立てられていた。

横浜市指定有形文化財(建造物)運松院本堂及び山門
指定年月日  平成7年11月1日
時 代    本堂 宝暦3年(1753)〈棟札〉
       山門 安政5年(1858)〈棟札〉
構造及び形式 本堂 桁行9間、梁間7間、一重、入母屋造、銅板葺
       山門 四脚門、本瓦葺
 雲松院は小机城主であった笠原越前守信為が亡父能登守信隆の菩提を弔うために建立したと伝えられ、寺名は開基信為の法名「乾徳寺殿雲松道慶庵主」に由来するとされている。
 本堂は、正面9間、側面7間、方丈形式の堂々たる堂で、内部は八室からなり、来迎柱二本と、仏間と室中境の柱二本を除くすべての柱は角柱で、住居風のしつらえとなっている。
 山門は本瓦葺の四脚門で、昭和30年代に茅葺から改められたが、屋根以外はほとんど改変が認められない。本堂は、関東大震災で大きな被害を受け、改造された部分はあるが、旧状をよく留めており、建造年代も明確で、緑に囲まれた優れた環境と相まった、市内有数の貴重な遺構である。

横浜市指定有形文化財(典籍)
『天童小参抄』(下巻)一冊 (てんどうしょうさんしょう)
指定年月日  平成元年12月25日
時 代    室町時代
構造及び形式 袋綴装32.2×25.4センチメートル
本紙     50枚
 『天童小参抄』は、中国の禅僧 宏智正覚(1091~1157)(わんししょうがく)が行った36の説法を集めた『天童小参録』を批評・解釈したもの。本来は上下二冊からなるが、上巻はなくなっている。著者は明らかではないが、応永28年(1421)頃の写本と考えられ、本書は最も古い写本となる。また、曹洞宗宏智派の宗風を探る『天童小参録』研究のうえで重要な資料である。

 境内墓地の再奥部に 横浜市地域史跡に指定されている笠原家の墓所の前に立てられている説明板(平成26年 横浜市教育委員会)に次のように説明されていた。元は境内の別の所にあったが、平成25年に現在地に移設されたと書かれていた。
旗本笠原家の墓所
 笠原家は、初め小田原北条家に仕えたが、北条家滅亡後は徳川家に仕え、信為の孫の照重の子、重政が天正19年(1591)に武蔵国都築郡台村(現、緑区台村町)に200石を賜った。
 現在、墓所には、元和9年(1623)在銘の宝篋印塔一基をはじめ、笠付角柱塔、石仏など合計17七基の墓を数えることができて、それらは重政、信重、為次ら笠原一族のものである。 登録日  平成6年11月1日

②小机城址(港北区小机町)

小机駅から徒歩20分ほどの丘陵が城址になっている。

正面の丘陵全体が小机城址

小机城址は第三京浜によって東西に分断されている。
現地に立っている説明板の案内図を掲げておく。
「本丸広場」に本丸が、「二の丸広場」に二の丸があったと想定されているが、発掘調査は行われていないようである。

城址の略図(1)
城址の略図(2)

小机城について、説明板に次のように書いてあった。

 築城の年代は明らかではないが、このあたりが開かれた12世紀以降ではないかと思われる。その頃このあたりは上杉氏の勢力下にあった。
 その後、山内上杉家の家臣 長尾景春が、家督争いから反乱を起こした時、景春に味方した矢野兵庫助らが小机城にたてこもり、北方にある亀之甲山(現在の新羽根町亀ノ甲橋付近)に帯陣した上杉方の太田道灌の率いる軍と戦った。
 城は文明10年(1478)落城し、上杉氏もやがて北条早雲に追われ、小田原北条の領地となり、40年間廃城になっていた。
 大永4年(1524)、小田原北条の一族の北条氏堯(うじたか)の領地となり、笠原越前守信為を城代として再興した。小机は江戸、玉縄、榎下などの諸城を結ぶ位置にあり、この地は軍事、経済の両面で極めて重要な役割を果たすことになる。
 豊臣秀吉が小田原城を攻め落し、やがて小田原北条氏が亡び、4代目城主の弥次兵衛重政が徳川家の家臣として200石の知行を与えられ、近くの台村(緑区台村)に住むことになり、小机城は廃城した。

また、別の説明板に次のようにあった。

小机城の縄張
 半島形の突出した丘陵の上部を大きく平らに削り、一列に3つ程度の曲輪(くるわ 郭 城を構成する区画、すなわち削平された地で、防備地帯、兵営の場、館の立地される場をいう)を置き、その並んでいる曲輪の側面に腰、帯曲輪を築く。
 また、城郭全体を二重の土塁を空堀でぐるりとめぐらす縄張で、後北条氏特有の築城法と言える。
 後北条の後半の築城方式で、東京都、埼玉県など戦国期の丘陵城郭の多くがこの型で、近くにある茅ヶ崎城も典型といえる。


縄張とは
 目的が定まった地が決定した後、その広さを決定し、曲輪の配地、道のつけ方、門の開き方、水の便などを定めること。
 この地取と縄張を総称して「城取」といい、城取は武士が行った。

本丸広場

先に掲げた「城址の略図(1)」の下方にある「根古谷(ねこや)」の近くから城址に入り、「本丸広場」を目指した。

「城址の略図(1)」には「本丸広場」、「二の丸広場」と、「同略図(2)」には「本丸」、「二の丸」とあるが、「小机城のあるまちを愛する会」が2019年10月に作成した『小机城案内図』では「西曲輪」「東曲輪」となっている。本丸、二の丸の建物が確認できていないためであろう。

本丸広場への入り口
「本丸広場」

説明板にあった本丸の解説

本丸(ほんまる)
 本丸は城の中心、主将のいる所で、合戦中には戦闘の指揮が行われる。
 縄張りを行う時、本丸の防備に最も配慮が注がれる。
 調査等の実績の少ない小机城は、「本丸広場」が本丸跡とは断定できていない。

空堀(からぼり)

城址には巨大な空堀と土塁(どるい)が築かれていた。
「二の丸広場」を目指し、空堀の中を歩く茅ヶ崎郷土会の一行。

空堀について次のように説明してあった。
 堀と土塁(どるい)は城の守備・攻撃のための重要な施設で、人工的に作られるものや地形を利用したものがある。
 水をはらない堀は空堀と呼ばれ、水をはるために堀勾配のゆるい水堀よりも堅固である。

二の丸広場

本丸広場よりも狭い

二の丸について、次のように解説してあった。
二の丸(にのまる)
 現在地は二の丸と呼ばれているが、資料不足のために断言できない。
 二の丸は、本丸を直接守備する役割がある。

土塁(どるい)

室町~戦国時代の山城の防備には、堀(空堀)と土塁が設けられていた。
小机城にもこの二つは良く残っている。

白い点線のところまで土が積まれている。

土塁の説明板に次のように記されていた。

土塁(どるい)
 土塁は堀と共に城の防備や攻撃に重要な施設で、堀を掘った土で築き上げた防備壁を言う。 土塁の基底幅は5メートル、上底幅は2.5メートル、高さは2メートル。
 一般に中世初期の城の土塁は、塁線に屈曲がなく、塁の上もしくは外のりに、必要に応じて棚・塀・逆茂木(さかもぎ)を設けている。

土塁の頂部。このような土塁で、防御のために郭(くるわ)は囲われている。

櫓(やぐら)

土塁の上には櫓が設けられた。

この一段高く土を盛ったところに「櫓台(やぐらだい)」の説明板が立てられていた。

櫓台(やぐらだい)
 櫓は、矢蔵すなわち兵庫や、高櫓(こうろう)・井櫓(せいろう)と呼ばれる見張台を言う。
 近世初期(15~16世紀)の成郭の天守閣の一源流と考えられる。天守のない時代に展望を目的とした櫓台があったと思われる。

このように小机城址を一巡して、私たちは次の見学地の横浜市都筑区にある③茅ヶ崎城址と④大塚・歳勝土遺跡へ向かった。この2ヶ所の報告は別に行うことにする。

photo 前田会員 平野会員
report 平野会員


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