1 修験道とは

日本古来の山岳宗教が、仏教・道教・陰陽道などの影響を受けて成立・発展した日本独自の民俗宗教の一つ。開祖は役小角(えんのおづぬ 役行者)であり、彼は『続日本紀』に登場する。小角は奈良県葛城山に住んで呪法を修め、鬼神を使役したとして朝廷の命で伊豆島に流されたといわれる。
小角が修験道を開いてから、全国各地に山岳信仰の霊地が生まれた。出羽三山・日光山・白山・立山・富士山・木曽御嶽山・英彦山などである。
鎌倉時代初期には、のちに本山派となる熊野修験の教団が成立し、室町時代中期には、のちに当山派となる修験集団が発生した。その後、徳川家康の宗教政策や明治維新時の修験道廃止令で壊滅的な打撃を受けたが、太平洋戦争後は再び活況を呈している。
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役 小角 (えんのおづぬ)
修験道の祖とされて、役行者(えんのぎょうじゃ)とも呼ばれる。伝説に包まれているが実在の人物と考えられている。絵や彫像は、老人で岩座に座り、脛(すね)を露出させ、頭に頭巾を被り、一本歯の高下駄を履き、右手に巻物、左手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、前鬼・後鬼と従えている。
「小角は鬼神を使役することができ、水を汲ませたり、薪を採らせたりした。もし鬼神が彼の命令に従わなければ、彼らを呪縛した」(『続日本紀』大宝元年〈701〉6月7日の条)。

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役 小角の石像
役 小角(えんのおづぬ)の石像はたいへん珍しい。厚木市上荻野の荻野神社の境内に祭られているが、なぜここにあるのか理由はわからない。
年銘や文字はない。残念なことに大きく破損して補修してある。もとは右手に錫杖を持っていたと思われる。お顔は童顔で、かわいらしいところが普通の小角の像とは違っている。

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代表的な修験道の聖地
修験道は深山幽谷のなかで歴史を重ねてきた。修験者(山伏)は俗人が容易には近づけない高山や厳しい自然環境の中で修行を積み、悟りを目指した。
神奈川県内では、箱根、大山、日向、八菅などが修験道の聖地だった。

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神奈川県内の修験道寺院の分布
修験は深山幽谷で修業を積み、時に里に出て人々の求めに応じて験力(げんりょく・げんりき)を発揮したが、江戸時代になって幕府の統制を受け、村のなかに居を構えるようになった。幕府は、全国の修験寺院を管理するために、京都の聖護院(天台宗の本山派)と醍醐寺三宝院(真言宗の当山派)の下に本末関係を作らせた。
相模国では、本山派は玉瀧坊(小田原)などが、当山派は大験寺(現藤沢市遠藤)、瀧岡寺(現綾瀬市吉岡)などがそれぞれの派を統べていた。

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