23ヶ村調査 いよいよ下寺尾に着手 18/1/16 晴

地元の皆さんと顔合わせ
昨年(平成29年)4月に中島(江戸時代の中島村)から始めた市内23ヶ村調査、二つ目の村、下寺尾(江戸時代は下寺尾村)にはいりました。
平成29年が、この地にある七堂伽藍跡の碑の建碑60周年に当たることから、この村を選んだものです。
午後1時半、自治会館をお借りして、地元から4人の方、私たち「23ヶ村調査隊」は10人の参加でした。
今日を迎えるに当たって、下寺尾自治会長の佐藤次男さんには大変お世話になりました。私たちの計画を各戸に知らせ、また地元の方々を紹介して頂きました。お礼を申し上げるとともに、今後のご指導をお願いいたします。

実は今日は下寺尾調査の2回目でした。29年10月17日、調査隊のメンバーだけで、下寺尾とはどういうところだろうかと回ってみたのです。雨の中の散策でした。

今日は日差したっぷりの暖かい自治会館のフロアーで、まずお互いに自己紹介を交わし、調査の目的・経過・内容・今後の次第などをお話しし、いよいよ地図を広げてご説明を頂きました。
『茅ヶ崎市史3 ―考古編』169頁にある「北方(きたかた)横穴群 下寺尾1127(台地斜面)」はどこだろうかなどが話題になりました。その間やく2時間。

会合終わって、そばにある「おもよ井戸」を見に行きました。
今は井戸はなく、斜面の一角が崩れたように落ち込んでいるだけです。
おもよ井戸
やぶの中でいつも冷たい水が出ていた。奥の方に入っていくと井戸があるといわれていた。池の中に田島(たじま)のように突き出たところがあり、そこにカツの木(ヌルデ゙)があり藁ヅトがぶらさげてあった。虫歯で苦しんだ人が願をかける。治ったらお礼に塩をツトッコに入れてあげた。オモヨ様という人が虫歯で苦しんでその井戸に身を投げたので、それからそこに願をかけると治るといわれる。(川島イト 明治二十九年生まれ)
『茅ヶ崎市史3 ―民俗編』581頁に載っている話です。

少しずつわき水が出ていて、井戸跡をしのばせていました。

風もない暖かい午後でしたが、お日様は西の空へ落ち始めていました。おもよ井戸の前から見た大山です。

photo & report 平野会員

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