茅ヶ崎市芹沢から、近所や庭に咲く花たちを紹介します。
2020年6月28日(日)
午前中はかなり強い雨が降っていました。梅雨の最中ですから仕方ありません。
庭や空き地にもいろんな雑草が勢いよく伸びています。ツユクサやカタバミは、一日見ないとびっくりするほど大きくなっています。
庭に植えたヤブカンゾウが花を付けました。数年前までは田んぼのあぜ道にたくさんあったのですが、このところすっかり見なくなりました。
ヤブカンゾウは八重咲きで、すこし遅れて花をつけるノカンゾウは一重です。
オレンジ色の花がきれいです。
〈ヤブカンゾウ・ノカンゾウの若芽〉
朝日新聞の4月3日(金)に、「福岡伸一の動的平衡 ウイルスという存在」という文章が載っていました。大変面白かったので、5月1日(金)の「こんにちは!花たち キンラン・ギンラン」に抜粋して紹介しました。
その後、福岡さんの『生物と無生物のあいだ』(2007年講談社現代新書)と『動的平衡』(2009年株式会社木楽舎)の2冊を古本で購入し、目を通してこれらも大変おもしろかったです。
福岡さんは6月17日(水)に朝日新聞の同じシリーズで「コロナ禍で見えた本質」を執筆しています。
この文章も、ちょっと変わったコロナ問題を扱っていますので抜粋して紹介しておきます。
私たちのもっとも近くにある自然とは自分の身体である。
生命としての身体は、自分自身の所有物に見えて、決してこれを自らの制御下に置くことはできない。私たちは、いつ生まれ、どこで病を得、どのように死ぬか、知る事も選り好みすることもできない。
しかし、普段、都市の中にいる私たちはすっかりそのことを忘れて、計画どおりに、規則正しく、効率よく、予定に従って、成果を上げ、どこまでも自らの意思で生きているように思い込んでいる。
ここに本来の自然と、脳が作り出した自然の本質的な対立がある。前者をギリシャ語でいうピュシス、後者をロゴスと呼んでみたい。
そんなピュシスの顕れ(あらわれ)を、不意打ちに近いかたちで、我々の目前に見せてくれたのが、今回のウイルス禍ではなかったか。
一方、新型コロナウイルスの方も、やがて新型ではなくなり、常在的な風邪ウイルスと化してしまうだろう。宿主の側が免疫を獲得するにつれ、ほどほどに宿主と均衡をとるウイルスだけが選択されて残るからだ。
長い時間軸を持って、リスクを受容しつつウイルスとの動的平衡を目ざすしかない。
ゆえに、私は、ウイルスを、AIやデータサイエンスで、つまりもっとも端的なロゴスによって、アンダーコントロールに置こうとするすべての試みに反対する。
ウイルスは人間より長い歴史を踏まえています。新型ウイルスが出現すると多くの人が感染し、多くの人が死ぬ。しかしウイルスの方が「ピュシス=自然」なのだ。福岡さんは述べています。「私は、ウイルスを、AIやデータサイエンスで、つまりもっとも端的なロゴスによって、アンダーコントロールに置こうとするすべての試みに反対する。」と。
photo & report 石野文蔵
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