南湖の金剛院 閻魔法王像と地獄極楽絵図などをお開帳 2019.01.16(水)

平成31年1月16日(水)
茅ヶ崎市南湖一丁目2-11にある高野山真言宗の金剛院で閻魔(えんま)様のお像と地獄極楽絵図(12幅)などがお開帳されました。

この日、茅ヶ崎郷土会会の尾高忠昭会員もお詣りしました。
眞柴辰明ご住職の特別のはからいによって写真撮影をさせて頂きましたのでその様子を掲載します。

金剛院は『新編相模国風土記稿』(茅ヶ崎村の項)に次のように記されています。
○金剛院 法林山と号す 円蔵寺末 僧文覚の創立する所という 本尊不動を置く △閻魔堂  

また『南湖郷土誌』(資料館叢書11 平成7年茅ヶ崎市教育委員会刊)には、
金剛院で毎年1月16日と8月16日に閻魔さまのご開帳がおこなわれていた。戦前は、露店が並ぶ「閻魔さま」の縁日に家族連れで出かけるのが大変な楽しみであった。
子どもたちも、うそをつくと「閻魔さまに舌を抜かれるぞ」と聞かされ、恐るおそる閻魔大王を拝んだものである。ご開帳は今も行われているが、昔の賑わいは残念なことに昭和34、5年頃までだった。

と書いてあります(147頁)。1月と8月の16日は「地獄の釜の蓋があく日」といわれていました。
今年も8月にはお開帳が行われるそうです。普段は拝むことの出来ないお像や軸を、多くの方が参拝されることをおすすめいたします。

本堂で地獄絵図などをご開帳
中央は閻魔法王、その両脇は十王像

閻魔法王が罪人に罰を与えている場面です。
上段に閻魔法王。

中段の二人は司命(しみょう)と司録(しろく)。
「司命」は、連れてこられた者の生前の行いを閻魔法王の前で読み上げます。
それを聞いて閻魔法王が、行き先は地獄か極楽か決定し、その決定を「司録」が記録します。

下段の二人は地獄の獄卒です。

奪衣婆(だつえば)は地獄に落とされた者を三途の川のほとりで待っていて、着物ををはぐ。
その下は血の池地獄の図です。
昔は、これらの掛け軸を見せて、地獄の恐ろしさを説明し、悪いことをしてはいけないと教えていたものと思われます。

閻魔法王像、十王像、奪衣婆、赤鬼・青鬼など16体のお像をお祭りしてある長生殿

この日は長生殿もお開帳されて、閻魔法王をはじめ十王像や奪衣婆(だつえば)などを拝むことができました。

中央に閻魔法王の像。
その両脇に司命(向かって左側)と司録(右側)。
その下に獄卒の青鬼と赤鬼。
その脇に十王が五人ずつ座っておられます。

下のモノクロームの画像は『ふるさとの寺と仏像』(昭和52年 茅ヶ崎郷土会発行)に掲載されている金剛院の像です。
なお、『茅ヶ崎市史』3考古民俗編に、
閻魔法王像は元文4年(1739)銘で仏師良運作、十王像などは文久3年(1863)に作られたらしいとあります(212頁)。

photo:ODAKA会員
report:HIRANO会員

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中島と南湖の稲荷講 2018/2/10・11(土・日)晴

今年、平成30年の初午(はつうま)は2月7日の水曜日でした。
初午には稲荷様を祭ります。

昔は、前日の夜を「稲荷様の宵宮(よいみや)」といい、宵宮からお祭りを始めました。
茅ヶ崎市内にはたくさんの稲荷様が祭られています。家々で祭るケースと数軒から十数軒で稲荷講(いなりこう)というグループを作って祭るケースがあります。家には屋敷稲荷を祭り、講中(こうじゅう)にも入っているという家も多くあります。
稲荷講では、宵宮には、講中の子どもたちは稲荷様に集まって、差し入れの赤いご飯を食べたり、遊んだり、また太鼓を竿に吊して叩きながら近所をめぐったりしたといいます。

今はこのような習俗はなくなりましたが、家々で祭る稲荷様にも、講中で祭る稲荷様にも、幟(のぼり)を立て、お供えをしてお祭りをすることは行われています。
ただ、昔のように宵宮から初午の日に祭るところは少なく、初午を過ぎた休日に行うところが多いようです。

中島と南湖の稲荷講を紹介します。

中島の稲荷講

中島では、家々で屋敷稲荷を祭っています。

東チョウのS家の屋敷稲荷
東チョウO家の屋敷稲荷
二ツ谷S家の屋敷稲荷

中島には東チョウ西チョウ本宿(ほんじゅく)、二ッ谷(ふたつや)、ブドウ園
というチョウナイがあります。

東・西チョウは国道一号沿いにあります。東チョウと西チョウはチョウナイが別で、稲荷様の講中も別ですが、左近右近稲荷という一つの社殿の中に右近稲荷と左近稲荷を祭っていて、両チョウナイが一年おきに稲荷講を行っています。しかし、2018年は講中に不幸があって初午の祭礼は取りやめました。

本宿は鎮守の日枝神社や浄林寺があるあたりをいいます。

二ツ谷は産業道路より東側の一帯をいいます。二ツ谷のS家の稲荷様は二ツ谷の稲荷講でも祭っているようです。

ブドウ園は相模川に近く新しく開かれたチョウナイです。ブドウ園には屋敷稲荷を祭る家はないか、少ないようです。写真は2月10日(土)に撮影しました。


南湖の稲荷講

南湖(なんご)は上チョウ中チョウ下チョウ茶屋町鳥井戸に分かれています。(上町・中(仲)町・下町と書きます)

南湖は昔から漁師町でした。どのような理由があるのかわかりませんが、漁師町には稲荷様が多く祭られています。

上町で祭る金刀比羅神社の隣に宗教法人稲荷神社(南湖3-4-6)があります。
このお稲荷様を中町の東組講中と西組講中と上町の講中の三つの稲荷講中が支えています。今年は11日(日)にお祭りが行われました。

祭りの準備
赤い幟は昭和53年(1978)、藍染めの横幕は昭和13年(1938)にできています。
準備終わって祝詞奏上
神主は大和市在住の大村堯通さんにお願いしています。

西講中と稲荷神社で保管する書類
講中で保管するものに、明治40年(1907)を初めとする講中帳、神社関係書類に昭和8年(1933)日付の市内十間坂、富田石材店からの石の鳥居設置の領収書、昭和11年(1936)に金刀比羅神社と交わした土地使用契約書などがあります。しかし、いつ稲荷様を勧請したかを表すものは見当たりませんでした。

昭和8年に建てられた鳥居

[参考文献]
『茅ヶ崎市史3 考古・民俗編』564~5頁 昭和55年刊 昔の初午の様子が書いてあります

中島 report & photo 羽切会員
南湖 report & photo 尾高会員