一昨日の18日に30年度総会が行われ、新年度の事業計画が了承されました。
いよいよ新しい活動が本格化します。
20日は昨日までの蒸し暑さが去り、さわやかな五月晴れのなか茅ヶ崎の中心部の一角にある別荘跡をたどりました。
午前9時15分に市立図書館に集合し、1時間ほどをかけてこの日のコースと見学場所の説明がありました。
説明者はminamoto会員とyamamoto会員。
参加者数は、300円の資料代を協力頂いた会員外の方々と、200円を負担した会員との20名ほどでした。
11か所の別荘跡地をめぐりましたが、そのいずれも今は切り売りされて個人住宅となっていたり、通りに面しては商店となっていて、別荘があったころの面影はまったく見られませんでした。この日の訪問地は、茅ヶ崎駅南口からすぐ近くの一角です。
途中でサザン神社というのがありました。桑田佳祐さんゆかりの茅ヶ崎ということからサザンオールスターズの名前を取った設えのようでした。
別荘だった雰囲気が感じられるところといえば、高砂緑地でした。
明治の頃、川上音二郎と貞奴が別荘を建てました。その後、大正6年に実業家の原 安三郎が一帯を購入して別荘とし松籟荘(しょうらいそう)と名付けました。終戦後は無住となっていたこともありますが、昭和59年(1984)に茅ヶ崎市が買収し、高砂緑地として公開しました。茅ヶ崎市は、平成3年にその一角に松籟庵(しょうらいあん)という茶室を設け、さらに同10年(1998)には茅ヶ崎市美術館を開館しました。
写真の表札は、原別荘のときに作られたと思われる、今も現地に残る門柱に貼り付けられています。
この日、松籟庵の中では茶会が行われていました。私たちは、原 安三郎が作った日本庭園をめぐって、お昼頃に別荘跡めぐりを終了しました。
photo & report 平野会員
〈フロントページへ〉
満松園は自宅?別荘?
音貞祭では自宅と表記されてますが
コメントをお寄せ頂きありがとうございました。
音二郎と貞奴が住んだという萬松園は二人の別荘だと思っていたのですが、オッペケ祭で配られていたパンフレットには、確か自宅と書いてありました。(といいましても、今編集子は帰省中で九州にいて、そのパンフレットを再確認することができないので、間違っている可能性もありますが)。
そこで、別荘めぐりとオッペケ祭の記事で違った表現となってしまいました。