腰掛神社のイチョウ 2020.12.28

境内のイチョウの大木が黄色く色づいてきれいでした。

腰掛神社は芹沢(江戸時代は芹沢村)の鎮守様です。
『新編相模国風土記稿』には江戸時代の様子を次のように書いてあります。
腰掛明神社。村の鎮守なり。大庭の神、腰を掛けし旧跡といい伝う。思うに旅所の跡などにや。小石一顆(か)を置き神体とす。本地大日。寛永十二年(1635)八月十九日勧請。爾来この日をもって例祭を執り行う。別当宝沢寺。当山修験。吉岡村滝岡寺触下。 
(「腰掛明神社」と呼ばれている。芹沢村の守り神である。大庭の神(注―どのような神様かは不明)が腰を掛けたところと伝えられているが、これは考えてみると、大庭の神が祭礼のとき、村々をめぐり、一時休んだところだったのではなかろうか。石の一つをご神体としていて、この神の、仏(ほとけ)としての姿は大日如来なのである。どこから迎えたかは分からないが、寛永12年(1635)8月19日にここにまつられた。以来、この日に毎年の祭礼を行っている。神社を管理しているのは境内の隣にある、当山派(真言宗系)修験道の宝沢寺(ほうたくじ 注―宝沢寺も次の滝岡寺も今はない)である。宝沢寺は、吉岡村(現在は綾瀬市吉岡)にある修験の寺、滝岡寺の支配下にある。)

photo & report 芹澤七十郎

茅ヶ崎風景 、点(てんてん)―目次―へ
茅ヶ崎いろいろ―目次―へ
フロントページ へ

かわぎ(けあらし)と烏帽子岩 2020.12.17・20(木・日)

ここ数日、すごく寒い日が続いています。
日本海側は大雪です。関越自動車道を走っていた自動車が動けなくなったとニュースが伝えていました。雪の中で一晩、二晩すごした方々は大変でしたね。
私たちの南関東は雪は降らなかったのですが、気温は低いです。


そのような中、けあらしが発生しました。
写真を撮って送ってくれた前田会員が、地元、柳島のお年寄りは「けあらし」のことを「かわぎ」と呼んでいると教えてくれました。
撮影したのは12月17日(木)と20日(日)。共に早朝です。



午前6時57分 柳島海岸で撮影
午前6時58分 柳島海岸で撮影

かわぎ(けあらし)は毎年、寒さがつのる1月、2月に発生します。

今までに3回取り上げています。
2018年1月26日
2019年2月2日
2019年12月8日
 
海水の温度が、海面上の外気の温度より高いときに発生するようです。

photo 前田会員
report 芹沢七十郎

茅ヶ崎風景 、点 (てんてん)ー目次ーへ
フロントページへ



皐月(さつき)芹沢

2020年5月10日(日)曇
朝、蒸し暑い感じでした。天気予報では次第に崩れるように言っていました。
早朝、ウォーキングに出ると、遠くの西の空には厚い雲があって、富士山は見えませんでした。
見上げた空にもいろんな雲が浮かび、その切れ目から陽が射していました。その様子がダイナミックだったので画像を載せます。
雨は降らなかったのですが、午後は強風が吹き荒れました。

里山公園のバーベキュー場

もう田起こしが始まりました。
初夏の芹沢風景です。

畑には色とりどりのレタスが植えてあります
散歩コース
廃屋ではありません
外国の人たちが、古い自動車を集めてきて、この中で再生させているようです
散歩コースの途中にあります

photo & report 芹沢七十郎
茅ヶ崎 、点(てんてん)―目次―へ
フロントページへ

茅ヶ崎に春の雪 2020.03.29(日)

芹沢の降雪 朝9時半ころ

ラジオの天気予報は、2日ほど前から「日曜日には寒くなって雪がふるでしょう」といっていました。
「ホントかなぁ」と思っていたらホントのことになりました。
「はるのゆき」 つぶやいてみるとなかなかいい感じです。
少し降って、すぐに止んで、新型コロナのために多くの人は自宅に居たことでしょうから、この雪で困ったことはなかったのではないかと思うのです。
夕方から降ってくれれば、私などは、「雪見酒だ」となるのですが、朝の雪ではそうはいかないのが残念でした。


冬の花、シクラメンは平気だったようです
大きなつぼみとなっていたボタンはこの雪、冷たそうです
開きかけたミヤコワスレも震えていましたす。
花盛りだったサクラソウは見るからにかわいそう
がまんだ! がまんだ!
もうすぐ暖かくなるって
庭も、こおり水の池になってしまいました

photo & report 芹澤七十郎


茅ヶ崎 、点(てんてん)―目次―へ
フロントページへ

南湖の恵比寿湯、閉店 2020.03.09

南湖の公衆浴場「恵比寿湯」が令和2年3月5日をもって閉店した。

『南湖郷土誌』(資料館叢書11 1995年3月 茅ヶ崎市文化資料館編集)の101頁に次のように掲載されている。

「 恵比寿湯 南湖仲町 創業者は鈴木熊次郎 明治後期創業 」

この記事を元に計算すると百年以上続いたお風呂屋ということになる。

私が記事と写真を送ると、掲載担当のこのHPの管理者も、若い頃に南湖に住んで、恵比寿湯に通っていたと言っていた。
数え切れないほどの人が、ここの湯を浴みたことだろう。

入口のシャッターが閉じられて、閉店を告げる表示がしてあった。

photo&report 尾高会員 

茅ヶ崎 、点(てんてん)―目次―へ
フロントページへ