

photo:kogaさん
〈茅ヶ崎 、点(てんてん)―目次―へ〉
〈フロントページへ〉
茅ヶ崎市芹沢の来迎寺で百万遍の大数珠を回しながら念仏をとなえる行事が行われました。
来迎寺は山号を芹澤山といい、茅ヶ崎市芹沢3291にある浄土宗のお寺です。
芹沢の丘陵地の西の端にあって、西を向いて建てられています。
『新編相模国風土記稿』には、
本尊 阿弥陀、開山然誉善芳 永禄七年(1564)二月二十六日卒
とありますから、450年ほど昔に創設されたお寺です。
来迎寺から数百メートル離れたところに光照山普門寺というお堂が、平成28年8月まで建っていました。
『風土記稿』には来迎寺の寮なりと記されています。
普門寺のことを土地の人たちは下馬落觀音堂(げばらくかんのんどう)と呼んでいました。
ご本尊の木造観音菩薩立像はたいへん霊験あらたかで秘仏とされていて、このお堂の前を馬に乗ったまま通りかかると、その無礼によって落馬すると伝えられていたからです。
秘仏ですから33年経たないと拝めませんでした。またその半分の16年目には中開帳が行われてきました。
このお堂は地元の念仏講の人たちによって維持されてきましたが、世の移ろいとともに講中のメンバーが少なくなり、お堂も老朽化が進んだことから、平成28年9月に取り壊されました。中に祭られてきた本尊の観音様とその御前立の観音様、その他六観音のお像などは来迎寺に移されてお祭りされることになったのです。
同年8月には観音堂で最後の百万遍数珠繰り念仏が行われました。
次の年、29年10月10日には、来迎寺に遷座して初めての百万遍念仏が行われました。
そして今年10月10日にも来迎寺で2回目の百万遍が行われたのです。
10月10日という日が下馬落觀音様のお祭り日だからです。
来迎寺に移ってからは、希望する人はこの百万遍念仏に参加することができるようになりました。
始めにご住職の開式があり、次に大数珠を回しました。最後に老僧による法話がありました。
ご本尊の次のお開帳は2023年だそうです。
観音堂には元和3年(1627)から平成18年(2006)までの22枚の棟札が残されていて、これも来迎寺に移されています。
この中の最も古い年号銘の元和3年(1617)の棟札に、この年にお堂が再興されたと書かれています。
また、2番目に古い慶安4年(1651)銘の棟札には天文九年(1540)兵火にて失す 本尊は清水谷に安置なり しかるに元和三巳年、今の寺地へ再建とあります。このとおりだったとすると、冒頭に記しましたように来迎寺の開山然誉善芳の卒年は永禄7年(1564)と『風土記稿』にありましたから、観音堂の創建は来迎寺より古いことになってしまいます。
photo & report 芹澤七十郎
〈フロントページへ〉
茅ヶ崎市小出(こいで)
小出は茅ヶ崎市の北部、田園風景の残る土地柄です。
台風が過ぎましたが、稲が倒れることもありませんでした。
photo and report 芹澤七十郎
7月の海の日、茅ヶ崎は浜降祭一色に染まります。平成30年は、寒川町にある寒川神社と茅ヶ崎市の鶴嶺八幡社をはじめ、子供神輿も含めて各神社のお神輿、約40基が茅ヶ崎の海岸に集まって、みそぎ祓いの神事が行われました。
神事の最後に、関係者によって玉串の奉奠が行われます。茅ヶ崎郷土会も以前から玉串を捧げる一員になっています。
レポーターは、今年はたまたま芹沢にある腰掛神社の役員を仰せつかりましたので、準備段階から浜降祭に携わりました。
玉串奉奠が行われるとき、腰掛神社をちょいと抜けて、郷土会会員として玉串を捧げてきました。
準備段階から写真を撮りましたので、今年の浜降祭の流れを紹介しようと思います。
お神輿と一緒に大勢の担ぎ手が海岸に行きます。その担ぎ手が神事の間に休む場所を確保しなければなりません。場所取りに、祭りの前々日の14日夕方、だいたい決められているその場所に杭を打ってテープをめぐらし「ここは腰掛神社の休憩所だよ」のしるしをします。
前日にはお神輿を納める場所を整える仕事があります。この場所も事前に決められています。腰掛神社のお神輿は以前から寒川神社の隣に納めることになっていて、向かってその左側です。
竹竿の先にサカキの枝を指し、神社名を書いた幟を立てておきます。幟を竹竿に巻き付けてあるのが、腰掛神社の場所です。
この日は海風の強い日で、竹竿を立てるに苦労しました。
寒川神社の場所は、2~30㎝ほど砂を盛って高くしてあり、そこにハマゴウの小枝と海藻が敷いてありました。浜降祭の始まりを語る話の中で、海から拾い上げられたお神輿を砂浜に置くのは恐れ多いことなので、これらを敷いた上に据えたということになっています。
各地のお神輿は、夜中の2時、3時にそれぞれの神社を出立します。海岸に着く頃ようやく夜明けです。
腰掛神社の神輿は大型トラックに乗せられて、比較的早く到着しました。担ぎ手はチャーターした2台のバスに乗りました。各神社のトラックとバスが続々と集まりますので、国道134号は規制されます。
トラックから降ろされたお神輿は海岸を目指します。
前々日に用意した休憩所にも次第に人が集まります。
そのすぐそばには屋台店が列をなし、順次店を開けていきます。
次第に休憩所も満員状態になります。
屋台店からは良いにおいが漂ってきます。
明るくなるに従ってお神輿の数も増えます。見物の人たちもどんどん増えてきます。
芹沢は、茅ヶ崎市の一番北の端に位置しています。朝の2時に宮立ちした腰掛神社の神輿振りです。
広い海岸を、あっちに行ったりこっちに来たりしながら、お神輿が決められた場所に納められると、神事が始まります。40基ほどのお神輿がすべて着座するのに3時間ほどかかりました。
神事は予定どおりに7時から始まりました。
神社ごとに海のもの、山のもの、お神酒が供えられます。
やがて祝詞が読み上げられます。祝詞奏状は寒川神社の宮司さんです。
祝詞が終わると、参加神社や関係者が玉串を供えます。
神事が始まってここまでに約1時間かかりました。
砂浜を真夏の太陽が遠慮会釈なく照りつけます。
その間ずっと立って神事を行う神職の皆さんも大変でしょうが、椅子は用意してあるものの、参列している方も大変でした。
帽子は持っていましたが、神事の間は被っている訳にはいきません。
年々薄くなる頭髪は太陽光線をさえぎる力もなく、脳みそが煮えるようでした。
茅ヶ崎郷土会としましては玉串奉奠の画像が欲しかったのですが、カメラを構えるのも遠慮しましたので、肝心の画像は無いのです。
photo & report 芹澤七十郎