おも井戸(おもよ井戸)調査隊 海老名市大谷北の井戸を訪ねる 18/1/11(木) 快晴

[下線部分をクリックすると関連する記事に移ります]
[地図をクリックすると大きな地図になります]

茅ケ崎市に下赤羽根と上赤羽根があります。寒川町にも下大曲と上大曲があります。しかし茅ヶ崎の下寺尾は、それに対応する上寺尾が近くには見あたりません。「どうしてなのだろうか」と疑問を持ち続けていたところ、茅ヶ崎郷土会の学習会で『新編相模風土記稿』の下寺尾村の記述にめぐり会い、上寺尾の存在を知りました。茅ヶ崎から北の方に2里余を隔てて寺尾があると書いてあり、なんと今の綾瀬市内に当たります。しかも「正保の頃(1645~48)はそれを上寺尾と呼んでいた。この上寺尾に対して茅ヶ崎の下寺尾となる」との注釈まで付いているのです。
これが、私たちが綾瀬市とそれに隣接する海老名市を探るきっかけとなりました。早速、図書館で両市発行の図書を何冊かめくってみました。すると、遠い昔に姉妹都市の約束でもしていたかのように、茅ヶ崎・海老名・綾瀬の3市に、類似あるいは共通する逸話がメモ用紙を埋め始めました。その中のひとつが「おも井戸」と呼ばれる池です。茅ヶ崎の下寺尾にあり、海老名の大谷北にあり、綾瀬の早川にある「おも井戸」。この3つの井戸に伝わる話の内容には多少の相違はありますが、同じ名を名乗り、信仰の池として土地の人に親しまれ続けてきたという共通点があります。 茅ヶ崎の「おも井戸」のあらましを知り得てから、海老名市と綾瀬市におも井戸調査の第一歩を踏み出してみることにしました。
地図を頼りに、katada会員と即席の調査隊を組んで、相模線の厚木駅に下車し、海老名市大谷北1丁目にある厚木ナイロン(現 アツギ株式会社)を目指して歩くその先、会社の広大な敷地の東側の住宅地の中に、弁天堂の小さな祠を見つけました。
弁天社とその横に「おも井戸」跡

井戸の跡

その傍らには、掃除の行き届いた3坪程の池の跡が残っていました。池に向かって左手に、細い石段があって、登るとその奥に神明社がありました。池の水は今は枯れていますが、神明社へ参詣する人たちが口を漱ぎ手を清めた御手洗の池であったといいます。かつてはこんこんと湧き出る清水を湛えていたのでしょう。この池の水で眼を洗うと眼病が治るという言い伝えもあります。現地ではこの井戸を「おも井戸」と呼び、神明社への坂(今は階段)を「おも井戸の坂」と呼んで、市の歴史遺産として大切にしているようです。
神明社へ登る階段 かつては「おも井戸の坂」と呼ばれていた

神明社の大鳥居 神明社は福寿院天照寺(高野山真言宗)に隣接している

神明社の説明版

なお、「おも井戸」は「御目井戸」からの転訛と考えられているようですが、解明されてはいません。それにしても「おも井戸」と呼ばれる池が3市にひとつずつあり、いずれも神聖な池として崇められてきたという史実は何を意味しているのでしょうか。不可思議な謎を残して、次の目的地である綾瀬早川のおも井戸へと足を運びました。海老名市と綾瀬市を歩き万歩計の数字は22,957歩。Katada会員の元気と知恵を分けて貰いながら海老名探索の一日を終えました。


report 町田会員
photo 片田会員