9 石仏3種 9-2 湘南七庚申 日本最初の青面金剛 庚申塔7基

庚申塔には猿と青面金剛(しょうめんこんごう)像が付きものだが、青面金剛の像は茅ヶ崎、平塚、藤沢、寒川町から全国に広がった。この3市1町にその出現期の事例が7基ある。

寒川町に1基(承応2年:1653)
茅ヶ崎市内に3基(承応3年:1654・同4年・明暦4年:1658)
藤沢市内に1基(明暦2年:1656)
平塚市内に2基(明暦2年・年銘不明)

作られた時期は、最も古い承応2年(1653)から、年不明もあるが明暦4(1658)までの6年間である。

この七基の塔をもって「湘南七庚申」と呼んで順に紹介しよう。

石質、全体の形、四臂(しひ:四本腕)の青面金剛の姿がよく似ていて、同じ石工の手になると考えられる。

「庚申」の文字がないものもあり、庚申塔と言えないという意見もあるが、青面金剛出現の貴重な庚申塔として、平成18年(2006)に県の重要民俗文化財に指定された。これらがこの地にあることを私たちはもっと誇っていいだろう。

9-2-1 寒川神社方徳資料館内 四臂青面金剛塔(しひしょうめんこんごうとう)

高さ90㎝(『寒川町史』一)
承応二年(一六五三)在銘
平成十八年(二〇〇六)、神奈川県有形民俗文化財に指定された。指定名称は「下大曲の庚申塔」。

塔の銘にある「大曲村」は近世村の大曲村のこと。『新編相模国風土記稿』(以下『風土記稿』)高座郡大曲村の項に、村は上・下大曲に分かれているとある。二〇二〇年十月現在、この塔は寒川神社の方徳資料館に展示されているが、かつては大曲の下大曲神社社殿に納められていた。保存状態がよいのもそのためと思われる。

背面、側面は粗彫りで、光背型に笠を被せたような格好をしている。他の六基は光背型なのでこの塔の形は異例である。
青面金剛の頭上は額のようにせり出させてあり、これに対応するかのように、足下の張り出しもせり出してある。このせり出している分の厚みを加工して、青面金剛像と二猿を半肉彫りに仕上げている。

青面金剛は二猿を従え、足下の張り出しには二羽の鶏がいる。鶏は七基の塔の中で、この塔にだけあらわれている。二猿はお尻をついて坐り両手を膝がしらにおく。
青面金剛の持物は上右手に剣、下右手に宝棒、上左手に三叉戟(さんさげき)、下左手に羂索。頭髪は焔髪で宝冠を被る。あごの下に宝冠の紐の結びがある。以上の図様は他の六基と同じであるが、他の塔には鶏がいない。安山岩でたいへん固い。
庚申塔に青面金剛像が出現する最初期の事例として、また丁寧な彫刻を施してあること、引き締まったバランスの良さなどから重要な塔である。

調査したのは平成二十七年(二〇一五)一〇月五日だった。
方徳資料館の学芸員の佐原慧さんに大変お世話になった。改めてお礼を申し上げます。


〈銘〉

向かって右側上方に
承応二年九月吉日

向かって左側上方に
相刕高座郡/一宮庄大曲村

左側の村名の「一」と「宮」の間に、読めないが一文字があるようにも見える。また「曲」は「間」のように見える。
結衆名はない。
『寒川町史』(美術工芸編)を参照した。


 『寒川町史』四〇一・二頁に、この庚申塔と石祠の八幡宮が共に下大曲神社にあると記されている。大変興味深いことに、八幡宮の石祠には、青面金剛塔と同じ「承応二年(一六五三)/八幡/九月十五日」という銘がある。

『風土記稿』に大曲村内の神社として八幡社、十二天社、山王社が記されている。石祠の八幡宮はこの八幡社に関係するものだろう。  

次に、茅ヶ崎市甘沼 八幡神社境内の四臂青面金剛塔(承応3年:1654)を紹介します。

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