2020年から46年前の風景 下町屋と今宿―小出川に沿って

1974年夏
茅ヶ崎市下町屋・今宿

1974年夏、小出川の今宿側の土手から、今宿と下町屋の風景を撮影しました。
①の場所から今宿の油研工業と下町屋の梅雲寺を撮影したものです。油研工業は今はありません。
②は、油研工業を背景に農作業風景です。
③は、中原橋を背景に、小出川の土手道を南下するこどもたちです。
④は、同じこどもたちがさらに南下する風景です。その向こうに見えるお寺は梅雲寺です。
⑤は、鶴嶺神社参道を小出川から撮影したものです。
撮影してから約半世紀経って、もうこのような景色は見られなくなりました。

① 右手に見える大きな工場が油研工業です。小出川の左側に梅雲寺があります。
 向こう側が南で、国道一号、その先に東海道本線、さらにその先に相模湾があります。
 

② 油研工業 この工場は今はありません。

③ 橋は中原橋です。今もあります。子どもたちが小出川に沿って南下しています。

④ 小出川の左は下町屋です。お寺の屋根は梅雲寺です。

⑤ 小出川から鶴嶺八幡社参道を撮影しました。今は参道の両脇に住宅が建ち並びました。

photo & report 平野会員

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2020年から46年前の風景 浄見寺遠景

1974年夏撮影
茅ヶ崎市堤

浄土宗 窓月山浄見寺
江戸町奉行の大岡越前守忠相公をはじめ大岡家一族の墓地があることで知られている浄見寺
画面左側のうっそうとした森は神奈川県指定天然記念物の寺林
一族の墓地はこの寺林の中にあって茅ヶ崎市指定史跡になっています
浄見寺の北側を通る道路、大岡越前通りから撮影しました
先の写真の撮影場所から少し東寄りの所から撮影しました
寺林の中でひときわ高い樹木は県指定天然記念物のオハツキイチョウ
このイチョウは、その後落雷を受けてひどく損傷しましたが、再生手術を施して今は元気です
画面右側の大きな屋根は本堂です
本堂の中に、県重要文化財指定の銅造(どうづくり)六臂(ひ)弁才天坐像が祭ってあります(『茅ヶ崎市史3』p260)
しかし、寺のご本尊は大岡家二代の忠政が慶長17年(1612)に奉納した木造阿弥陀如来立像です(『茅ヶ崎市史3』p259)
毎年4月に、忠相公を顕彰する「大岡越前祭」が茅ヶ崎駅周辺と地元の堤地区で催されています
浄見寺の北側を、寺に沿っている小径です
この様子も、今はすっかり変わりました

photo & report 平野会員

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2020年から46年前の風景 文化資料館まえの道路

1974年(昭和49年)夏に撮影
茅ヶ崎市中海岸 

文化資料館の玄関前から見た風景
道路の向こう側は屋敷跡だったらしく、木造平屋建て無住の建物があって、実生で生えたと思われる松が茂っていた
その後住宅地に開発されて、2020年現在、この写真の面影はない
道路の手前は文化資料館敷地と福祉会館敷地の境のフェンス
今は福祉会館もなくなった
道路沿いに植えられたカイヅカイブキは大きくなって、今も資料館側に残っている

photo & report 平野会員

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2019年から48年前の風景 開館当初の文化資料館

1971年(昭和46年)12月撮影

茅ヶ崎市文化資料館は、1971年(昭和46年)7月1日に開館しました。
この画像は開館したばかりの頃の、文化資料館の入口を撮影したものです。
2台の自転車がありますが、左側のものは館の公用車でした。
2本ある松はさらに大きくなって今もあります。

同日撮影
文化資料館の前の道路をはさんでその向こう側の一角は屋鋪跡でした。無住の家屋と広い庭に松が植わっていました。その屋鋪跡から撮影した画像。
同日撮影
外壁はモルタル打ちっ放しのモダンな建物です。 
同日撮影
1階の展示場には民俗資料が並んでいました。壁面は横縞模様のクロスが貼ってありました。

photo&report 平野会員
撮影場所 茅ヶ崎市中海岸

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