茅ヶ崎の野鳥たち 南部の海辺編 (19-1)オオヨシキリ

茅ヶ崎の南西部(主に柳島の海岸)で見かけた野鳥たちを紹介します。生態の説明文の一部は『ぱっと見分け観察を楽しむ 野鳥図鑑』(ナツメ社刊)から引用しました。    【杉山 全】


ギョ ギョ シ ギョ ギョ シとにぎやかにさえずる。
夏鳥として渡来、湖沼のヨシ原や河川敷などに生息し、動物食で主に昆虫類を捕食する。繁殖期にはなわばりをつくるが、一夫多妻。ヨシの茎や葉を組み合わせたおわん形の巣をつくる。
最近はヨシ原が少なくなり、この鳥の鳴き声を聞くこともまれになった。

鳴き声は大きいが、ヨシのかげに居ることが多いので、素人目で見つけるのはなかなか難しい。
小出川の下流付近の様子。上流(北)をむいて撮影。
柳島のあたりが都市化する以前は、低湿地にたくさんのヨシがはえていて、ヨシズを編む仕事が行われていた。

photo&report 杉山会員
撮影場所 小出川河畔

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新町で祭る厳島神社の例大祭 2019.05.05(日)

令和元年5月5日(日) 快晴

替わったばかりの新元号「令和」を掲げて、厳島神社の神輿渡御

改元に伴う大型10連休も終盤のこの日、お天気は快晴でした。新栄町にある厳島神社の例大祭に、お神輿がまちを練り歩きました。たまたま遭遇した私は、ちょうどカメラを持っていたので、1枚シャッターを切りました。


「新町」は「しんまち」と読みます。茅ヶ崎駅の周辺にあたり、今の住居表示では新栄町(しんえいちょう)・元町(もとまち)・共恵(ともえ)・幸町(さいわいちょう)をいいます。この四町内で厳島神社を祭っています。


夏目善治著『新町をかたる』(昭和58年 新町自治会発行)の中に厳島神社の歴史が書いてあります。
ずっと昔、今の元町14・15丁目あたりは荒れ地で大きな池があった。その地を開くときに殺した蛇を祭って弁天さまを祭ったという話が伝わっている。
明治34年(1901)、現在の新栄町7丁目の一角にある、正一位左近稲荷社に、その弁天様を持ってきて併設した。
大正7年(1918)、現在の茅ヶ崎駅駅前(北口)にあった池のほとりに弁天さまを移転。(従来、弁天さまと呼ばれていたものが、「厳島神社」となったのはこの時でしょうか。)
大正8年(1919)、新町で神輿を作成。浜降祭に出輿した。
昭和23年(1948)、現在地(新栄町2丁目10)に移転。
昭和28年(1953)、宗教法人となる。(社名変更と新ご祭神の勧請は、大正7年ではなくこのときだったということも考えられます。)
昭和48年(1973)、拝殿を完成。
昭和56年(1981)、妙音弁財天を建立。
例大祭は5月5日。「昔は神楽、芝居を行っていた。ご神幸祭(神輿渡御)も行われるようになった」と同所に書いてあるので、例大祭に神輿渡御をするようになったのは、この本が書かれたときより、そんなに遠い昔のことではなかったようです。

現在のご祭神は
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三柱
と境内の由緒書きの看板にあります。
この三女神は、海中に建つ赤い鳥居で有名な、安芸の宮島の厳島神社のご祭神と同じです。
向かって右側が大正8年に作られた神輿。今も活躍しています。
左側はこども神輿。

昭和56年に建立された妙音弁財天。

厳島神社の歴史をたどると、
最初は蛇の供養として祭った「弁天さま」でしたが、いつの日にか広島県の宮島から厳島神社を勧請して祭神もかえたために、それまで祭られていた弁天さまを、新たに妙音弁財天としてお姿を作ったもののように考えられます。

しかし、厳島神社を勧請したのが何時なのか、知りたいものですが今のところわかりません。

photo&report ODAKA会員
撮影場所 
 ●神輿渡御は南口の氏子域を渡御した神輿が、ツインウエーブを渡り北口に向かう 手前
 ●拝殿・神輿二基・妙音弁財天は厳島神社境内 

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茅ヶ崎の芹沢に雹が降る 2019.05.04(土) 

令和元年5月4日(土)

梅の木の若葉をたたき落としながら、庭に溜まった雹(ひょう)です。

5月4日(土)
鳴り物入りで突入した10連休は半ばを過ぎました。
前半は天気が今ひとつでしたが、今日は晴れて気温もあがると、朝のラジオが報じていました。午前中、予報どおりでした。しかし空気はヒンヤリしていました。
午後、2時半頃から、遠くで雷が鳴り始めました。
「これは洗濯物を取り込んどいたがいいよ」
話している内に雷様の音は次第に大きくなりました。
3時半過ぎて雨が降り始めました。
3時42分、土砂降りになりました。その中に白い粒が混じり始めました。
「霰(あられ)にしては大きいな」
「雹(ひょう)だよ」
5ミリ以上の大きさの氷の玉は「雹」というそうです。
見る見る間に、庭の低い所に氷の粒が溜まりました。
このあたりでは、そう見ることのできる光景ではありません。


庭に激突してしぶきをあげています。
踏み石の上は溶けにくいのでしょう。
こんなに溜まりました。
屋根瓦にも積もりました。
雨樋の無いわが家の屋根からは、雨が滝になって落ちました。

photo&report 芹澤七十郎

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茅ヶ崎の野鳥たち 南部の海辺編 (18)オオバン

茅ヶ崎の南西部(主に柳島の海岸)で見かけた野鳥たちを紹介します。生態の説明文の一部は『ぱっと見分け観察を楽しむ 野鳥図鑑』(ナツメ社刊)から引用しました。    【杉山 全】

バンという野鳥に比べて体が大きいところからその名が付いた。バンはハトくらいの大きさという。
バンとオオバンの違いは、体長のほかに、バンの頭の前面とくちばしは赤く、オオバンは写真のように白い。
ともに小出川で見られるので、淡水にいる水鳥。

全身黒くてずんぐりした体形の水鳥、最近よく小出川で見られる。
繁殖力が旺盛で年に2回、ときには3回繁殖することもある。湖沼・河川・水田など湿地帯を好む。植物食傾向の強い雑食で主に水生植物を好み潜水や逆立ち採食もする。魚類、昆虫なども食べる、と説明されている。

ゾロゾロとお出かけ
集団で食事に出かけるところ(らしい)。
水にもぐるのが得意。
みずかきに都合の良いように進化した指を見て下さい。
小出川の下流。この流れの先は相模川の河口につながり、海に注ぐ。
オオバンはこのような環境の中にすんでいる。
川に平行して新湘南バイパスが通る。

photo&report 杉山会員
撮影場所 小出川


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茅ヶ崎の野鳥たち 南部の海辺編 (17)オオミズナギドリ

茅ヶ崎の南西部(主に柳島の海岸)で見かけた野鳥たちを紹介します。生態の説明文の一部は『ぱっと見分け観察を楽しむ 野鳥図鑑』(ナツメ社刊)から引用しました。    【杉山 全】

繁殖期のほかは海上で生活する。滑翔して、ゆっくりとした羽ばたきを交えながら、海面低くを、左右に翼を傾けて飛び回り、餌の群れを見つけると遠くからもたくさん集まる。(Wikipedia)

最も普通に見られるミズナギドリ類。日本で見られるミズナギドリでは最も大きい。
日本近海に生息し、陸地からも観察できる。群れで生息し、体上面は黒っぽく、体下面は白っぽいため、黒と白の鳥が混在しているようの見える。

全長48cmほど、翼開長120cmほど。体重440-545g。(Wikipedia)
オオミズナギドリが群れ飛ぶ茅ヶ崎の海。画面の左端に見えるのは三浦半島。柳島の海岸から。

photo&report 杉山会員
撮影場所 柳島海岸


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