茅ヶ崎の南西部(主に柳島・相模川の河口付近)で見かけた野鳥たちをアイウエオ順に紹介しています。生態の説明文の一部は『ぱっと見分け観察を楽しむ 野鳥図鑑』(ナツメ社刊)から引用しました。 【杉山 全】

コサギとダイサギの中間的な大きさ。ダイサギによく似るが、くちばしと首がダイサギより太く短い点を見る事で見分ける。口角(くちばしの端っこ。目の下。)の切り込みが目の後方を超えない。

photo & report 杉山会員
迷走した台風14号が去って、今日は久しぶりに晴れました。
小出はすっかり秋です。秋の花たちが咲き出し、また、実やタネを付け始めました。
初夏のころまでは順調に育っていました。
それが、8月の猛暑のせいでしょうか、わずかの枝葉を残して地上部が枯れてしまいました。
その残った部分に数輪の花をつけました。
写真は同じ花の裏と表です。
花の形が兜(かぶと)の形に似ているところが、名前の由来のようです。
猛毒とは思えない、やさしい色と形をしています。

こちらは強烈な色使い。
生命力は旺盛で、毎年いたるところに芽吹いてきます。
そのまま置くと大きくなるので初夏のころに刈り取ります。
少し日当たりの悪いところに育った花がきれいです。

写真のアケビはちょうど食べ頃です。
と言っても黒いタネがびっしり詰まっていて、それを包んでいる白い部分が甘いのです。
子どものころ、「アケビ取り」は私たちの大事なあそびでした。
今では、この皮を油で炒めて食べるのが好きです。ほろ苦くていい味です。
(アケビの花はこちら)

赤い実がきれいです。
ホームページにしばしば写真を提供してくれる前田会員は、子どもの頃、この実をほお張ったと言っておられました。
霜を被って、黒く変色した頃がおいしいそうです。私もまねてみようと思っています。
(ガマズミの花はこちら)
photo & report 石野文蔵
庚申塔には猿と青面金剛(しょうめんこんごう)像が付きものだが、青面金剛の像は茅ヶ崎、平塚、藤沢、寒川町から全国に広がった。この3市1町にその出現期の事例が7基ある。
寒川町に1基(承応2年:1653)
茅ヶ崎市内に3基(承応3年:1654・同4年・明暦4年:1658)
藤沢市内に1基(明暦2年:1656)
平塚市内に2基(明暦2年・年銘不明)
作られた時期は、最も古い承応2年(1653)から、年不明もあるが明暦4(1658)までの6年間である。
この七基の塔をもって「湘南七庚申」と呼んで順に紹介しよう。
石質、全体の形、四臂(しひ:四本腕)の青面金剛の姿がよく似ていて、同じ石工の手になると考えられる。
「庚申」の文字がないものもあり、庚申塔と言えないという意見もあるが、青面金剛出現の貴重な庚申塔として、平成18年(2006)に県の重要民俗文化財に指定された。これらがこの地にあることを私たちはもっと誇っていいだろう。
次に、茅ヶ崎市甘沼 八幡神社境内の四臂青面金剛塔(承応3年:1654)を紹介します。
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茅ヶ崎の南西部(主に柳島の海岸)で見かけた野鳥たちをアイウエオ順に紹介しています。生態の説明文の一部は『ぱっと見分け観察を楽しむ 野鳥図鑑』(ナツメ社刊)から引用しました。 【杉山 全】

最も嘴(くちばし)の長いジシギ(地鴫)類。
水田、湿地などの淡水域の泥池を好む。
シギ類は生息環境と食物に応じて進化した嘴を持ち、視覚では無く、嘴を器用に使い食物となる生き物を探す。
心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ
西行法師の有名なこの歌は、大磯の鴫立庵ができるきっかけになったと言われている。
タシギは保護色のために人に気づかれにくいので、いきなり足元から飛び立つことがありビックリさせられるそうである。
西行法師もビックリしたのかな。
photo & report 杉山会員
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町田市の南成瀬にカラス天狗像を彫ったサイノカミ(塞の神)が3基ある。背中に羽根をつけているのでカラス天狗と分かる。
内の享保14年と元文2年の2基には「祭神」の文字がある。「祭神」は「サイノカミ」と読ませるものである。
残る1基は「道祖神」と刻まれていて、年号銘はない。「祭神(サイノカミ)」という神がいつの間にか「道祖神」と表記されるようになった例であり、この塔も、この神の歴史を調べる上で重要な位置にある。
神奈川県を含む南関東は全国的に見ても石造道祖神が多く分布する地域だが、今判明している限り、カラス天狗像のサイノカミはこの3例だけである
公園の中にある。移設されたものだろう。
塔の裏側は粗彫りだから光背型といえるようだ。二つに折れ、顔や手先が傷んでいるが磐座に立つ堂々としたカラス天狗である。
足下に「氏子」として木目田姓5人、中里姓2人の名がある。同姓を続けるとき「同苗◯◯」とするのも茅ヶ崎辺りでは見かけない書き方である。
カラス天狗像を彫るところも珍しいが、塔の中央上部に「祭神」とあり「サイノカミ」と読ませている。この塔が道祖神ではなくサイノカミ(塞の神)であることを示す貴重な一例でもある。
【所在】東京都町田市南成瀬四丁目19番19号 西山児童公園内
町田市立第二小学校のそばの山の斜面の稲荷社境内にあって見つけにくい所にある。
この塔のカラス天狗は、先の享保14年塔にあった堂々とした雰囲気はないが、若々しさを感じさせる。
【造立者銘】
足下に八人の名前があるが、石材が傷んでいて読めない文字が多い。[ ]は文字数もわからない部分。
柳田[ ]
武藤加[ ]兵
武藤文[ ]
落合左郎[ ]
落合[ ]
落合[ ]
落合佐[ ]
[ ]
南町田に3基ある烏天狗サイノカミの2例目。
「祭神」の「祭」は「登」のように見えるが、サイノカミと読ませるため「祭」である。
「山之根村」は江戸時代の成瀬村内の集落の一つで『新編武蔵風土記稿』成瀬村の項に、「山根」という小名がある。
西山児童公園内の享保14年銘の烏天狗塞の神から8年後の建立だが、享保のものを手本にして作ったと考えられる。
<所在> 町田市南成瀬五丁目9番43号 山ノ根稲荷社境内
町田市立第二小学校の校舎の前から北東に伸びる登り坂をたどり、国道140号を渡り、そのまま20~30メートル坂に沿って登ると、右手先に稲荷社の赤い鳥居が見える。
【銘】
正面、像の向かって右側に
奉建立 道祖神
左側に
武刕/成瀬 東光寺村/惣氏子
町田市クリーンセンター正門前の路傍にある。光背型で傷みは少なく天狗の表情がよくわかる。羽うちわを持ち、天狗であることを強調している。
南成瀬地区に3基あるカラス天狗サイノカミの一つで、これは年銘を欠いている。
享保14年(1729)と元文2年(1737)をモデルとしてその後に作られたものと考えられる。像が様式化してまるで子どもの姿となっているが、その分可愛い。
また、前2例は「祭神」と刻字して「サイノカミ」と読ませているが、これは「道祖神」と刻字してある。
江戸時代中期に出現する初期の道祖神は双体像を刻み、時代が下ると「道祖神」と文字で表すように変化する。しかし、人々はそれをセーノカミ、サイノカミと呼んだ。「道祖神」と書きながらサイノカミと読むのはなぜだろうか。また、「サイノカミ」に「道祖神」の文字をあてたのはどういう理由によるものなのか。
「東光寺村」とあるが『新編武蔵風土記稿』成瀬村に成瀬村内の小名の一つとして出てくるので「村」ではない。元文2年銘の事例でも「山之根村」と、小名に「村」を付けている。
現地に建っている説明板

説明板左側の道祖神の説明に「享保8年霜月吉日」とあるが、この年銘は確認できなかった。塔の形と技法から見て享保の建立とはとても思えない。
文中の「薬師堂」は『新編武蔵風土記稿』成瀬村に、
「薬師堂〈除地、五百坪、字上合にあり、三間四方にして巽向きなり、薬師は木の坐像なり、長九寸、弘法大師のの作なりと言い伝う、堂の傍らに本山修験五大院といえるもの居住して、堂を護る、五大院は圖師村大蔵院の配下也〉」とある。
この『風土記稿』の記事をもって修験道とカラス天狗サイノカミを結びつけるのは無理なように思える。
【所在】町田市南成瀬七丁目20番のセンチュリーハイツの近く
photo 故坂井源一会員 平野会員 ー平成26年(2014)10月31日現地調査ー
report 平野会員
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