茅ヶ崎かるた のカルタ取り 音貞オッペケ祭で 2018/6/3 (晴)

音貞(おとさだ)オッペケ祭が行われました。場所は松籟荘(しょうらいそう)。
このイベントに参加して、2日目の3日(日曜日 午後)、茅ヶ崎郷土会は、松籟荘の中にある茶室「松籟庵(しょうらいあん)」の書院を借りて茅ヶ崎かるたのカルタ取り大会を催しました。
こども向けとして計画したのですが、目的のこどもさんの参加が少なかったのがいささか残念ではありました。
それでも三戦が行われました。





赤ちゃんもこの日は貴重な参加者でした。





トップ賞はこの子。
賞状と賞品が、郷土会から贈られて、大得意でした。




松籟荘の庭では「音二郎版 ハムレット」が大勢の観客を呼んでいました。

茅ヶ崎民話の会 「九代目市川團十郎」

「音貞 オッペケ祭」の「音貞」は、明治35年、この地の近くに「萬松園(ばんしょうえん)」という自宅を構えた川上音二郎と貞奴(さだやっこ)夫婦によっています。
「ハムレット」のほかにオッペケ節や祭囃子、茅ヶ崎民話の会による「九代目市川團十郎」、茅ヶ崎高等学校の「乙女文楽―三番叟」なども行われました。
柳島いま・むかし会は茅ヶ崎のむかしおやつ 芋だんごを提供していました。
ちがさき丸ごとふるさと発見博物館の会は 随時一般受け付けで、松籟荘の中のみどころ案内30分を行いました。

この日、天気が良く、松ばやしの中をすずしい風が吹いていました。

photo 前田会員 平野会員
report 平野会員

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30年度第1回 茅ヶ崎の別荘跡めぐり ― 高砂緑地から中海岸へ 2018/05/20(日) 晴

一昨日の18日に30年度総会が行われ、新年度の事業計画が了承されました。
いよいよ新しい活動が本格化します。

20日は昨日までの蒸し暑さが去り、さわやかな五月晴れのなか茅ヶ崎の中心部の一角にある別荘跡をたどりました。
午前9時15分に市立図書館に集合し、1時間ほどをかけてこの日のコースと見学場所の説明がありました。
説明者はminamoto会員とyamamoto会員。
参加者数は、300円の資料代を協力頂いた会員外の方々と、200円を負担した会員との20名ほどでした。

11か所の別荘跡地をめぐりましたが、そのいずれも今は切り売りされて個人住宅となっていたり、通りに面しては商店となっていて、別荘があったころの面影はまったく見られませんでした。この日の訪問地は、茅ヶ崎駅南口からすぐ近くの一角です。


途中でサザン神社というのがありました。桑田佳祐さんゆかりの茅ヶ崎ということからサザンオールスターズの名前を取った設えのようでした。




別荘だった雰囲気が感じられるところといえば、高砂緑地でした。
明治の頃、川上音二郎と貞奴が別荘を建てました。その後、大正6年に実業家の原 安三郎が一帯を購入して別荘とし松籟荘(しょうらいそう)と名付けました。終戦後は無住となっていたこともありますが、昭和59年(1984)に茅ヶ崎市が買収し、高砂緑地として公開しました。茅ヶ崎市は、平成3年にその一角に松籟庵(しょうらいあん)という茶室を設け、さらに同10年(1998)には茅ヶ崎市美術館を開館しました。
写真の表札は、原別荘のときに作られたと思われる、今も現地に残る門柱に貼り付けられています。

この日、松籟庵の中では茶会が行われていました。私たちは、原 安三郎が作った日本庭園をめぐって、お昼頃に別荘跡めぐりを終了しました。

photo & report 平野会員

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茅ヶ崎郷土会の総会開かれる 2018/05/18(金)晴

午後1時30分から、市立図書館第1会議室で行われました。
総会は二部構成で、最初に茅ヶ崎郷土会、続いて茅ヶ崎郷土芸能保存協会の総会へと進められました。
参加者は、茅ヶ崎郷土会が24人、郷土芸能保存協会がほぼ同数で終始、和気藹々とした雰囲気でした。

ご出席の来賓の方々は、
茅ヶ崎教育委員会から、神原 聡教育長、中山早惠子教育推進部長、石井 亨社会教育課長、建見 聡社会教育教育課担当主査、三戸主査
茅ヶ崎市から、文化生涯学習部 関山知子文化生涯学習課長
茅ヶ崎市議会から、白川静子市議会議長
市議会議員でかつ茅ヶ崎郷土会会員の、青木 浩議員、小川祐暉議員、山田悦子議員
河野太郎衆議院議員の代理の方
の皆様でした。
会員の日下景子、藤間明男両県議会議員、また会員の岩田はるみ、永田輝樹両市議会議員は公務のために出席できないとご連絡を頂いておりました。佐藤 光県議会議員からは祝電を頂きました。
ご来賓の皆様に対しましては、お忙しい中をお運び頂き、あつくお礼を申し上げます。

神原 聡教育長、白川静子市議会議長、中山早惠子教育推進部長、石井 亨社会教育課長には、心のこもったご祝辞をいただきました。重ねてお礼を申し上げます。

議事に入って、茅ヶ崎郷土会、茅ヶ崎郷土芸能保存協会ともに、29年度事業報告、同決算報告があり、承認を受けた後、30年度の事業計画、予算案の審議と進み、ともに了承されました。
出席の会員からのご意見等は、①茅ヶ崎かるた販売による収入についての説明要望、②総会を4月中に行うことは出来ないかという要望、③総会資料の事業予定表印刷をもっと大きくという要望、⑤史跡めぐりの訪問地に変化をもたせて欲しいという要望がありました。

茅ヶ崎郷土会も茅ヶ崎郷土芸能保存協会も、いよいよ新年度の事業が本格的に始められます。
今年度も無事に一年間の事業が進められるようにとの参加者一同の願いを新たにして、30年度総会が終了しました。

photo & report 平野会員

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茅ヶ崎23ヶ村調査勉強会 中島村の歴史年表を作る 2018/05/15

午前中は郷土歴史民俗勉強会(東哲郎さん「茅ヶ崎の別荘」)、午後は引き続きこの23ヶ村調査勉強会でした。

茅ヶ崎23ヶ村調査勉強会も2年目に入りました。
茅ヶ崎郷土会と茅ヶ崎丸ごと博物館の会との合同作業です。

今年10月に予定している「市民文化祭」でその一部でも発表したいものだと、一同がんばっています。
今、中島村歴史年表を作っています。
茅ヶ崎市史をはじめ明治時代の巡査 石上憲定の日記などを資料として、中島に関係する項目を抜き書きしているところです。
茅ヶ崎の年表は、『茅ヶ崎市史』5に収録のものと、樋田豊広会員の労作『茅ヶ崎・寒川歴史年表』平成20年4版が知られています。特に樋田会員の年表は、「よくぞこれまで」と感心します。
この23ヶ村調査勉強会は地味な作業ですが、興味があって参加してみたいというような人を待っております。
原則、毎月の第1と第3火曜日の午後、福祉会館でおこなっています。

photo & report 平野会員

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郷土会 Study Room 東 哲郎さん「茅ヶ崎の別荘」 2018.05.15

東 哲郎さんの熱弁

平成30年度の1回目です。
明治時代を迎えて、世の中が新しい方向性を求めて右往左往する中、大きな出来事が天から降ってきた。鉄道―東海道線が当時の茅ヶ崎村と松林村とを東西に横切って敷設されたのである。明治20年(1887)のこと。鉄道は通ったが停車場は作られなかった。藤沢駅の次の駅は平塚駅。
2年後には横須賀線も敷設された。そして、大磯、逗子、葉山などに別荘地の開発が始まり、地域開発と経済効果に対する関心が湧き起こった。
茅ヶ崎にも停車場を! 駅はこの地の開発にとって欠かせない!当時の人々はそう思ったことだろう。
明治22年、茅ヶ崎村、鶴嶺村、松林村、小出村ができた。
同27年(1894)伊藤里之助が茅ヶ崎村村長になった。このころ、駅の誘致運動が盛んにおこなわれていた。
伊藤里之助は頭を悩ませていた。茅ヶ崎の将来像をどのように描こうかと。
茅ヶ崎村とその東側にある松林村は相模湾に面している。しかし、両村のちょうど鉄道線路の南側一帯は砂地で耕作地としては不適だった。
里之助は考えた。この役に立っていない土地を別荘地として開発できないものか。
里之助の活動が始まった。茅ヶ崎駅の開設に向けた運動が。駅ができれば人を呼ぶこともできる。地元の農産物・水産物の輸送にも便だ。
明治29年(1896)当時一番の人気役者、九代目市川團十郎が松林村小和田の一角に6千坪の敷地を購入した。同年には医者須田経哲も茅ヶ崎に移り住んだ。
茅ヶ崎駅の開設が近いことを見こしてのことだろう。
明治31年6月、東海道線茅ヶ崎駅ができた。
このことを契機にして、伊藤里之助の都市プランニングが動き始めた。別荘地開発はその中の重要プロジェクトだった。

東 哲郎さんの話の一部を、勝手に換骨奪胎して文章化しました。
たくさんの資料を用意して、たいへん面白く話していただきました。東さんにお礼を申し上げます。

今年度の茅ヶ崎郷土会の史跡めぐりと郷土歴史民俗勉強会は、茅ヶ崎の別荘にテーマとしています。
このあとも、東さんの「別荘の話」は続きます。次は9月18日(火)「箕作一族と柳田国男」12月18日(火)「土井別荘と石川村」。ともに時間は10:00から、場所福祉会館を予定しています。

photo & report 平野会員

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