茅ヶ崎の野鳥たち 北部の丘陵編 (033) ミソサザイ

Wikipediaから引用します。
全身は茶褐色で、体の上面と翼に黒褐色の横斑が、体の下面には黒色と白色の波状横斑がある。雌雄同色である。体つきは丸みを帯びており、尾は短い。よく短い尾羽を上に立てた姿勢をとる。
日本の野鳥の中でも、キクイタダキと共に最小種のひとつ。
茂った薄暗い森林の中に生息し、単独か番いで生活し、群れを形成することはない。繁殖期以外は単独で生活する。

早春の2月くらいから囀り始める習性があり、平地や里山などでも2月頃にその美しい囀りを耳にすることができる。小さな体の割には声が大きく、高音の大変に良く響く声で「チリリリリ」とさえずる。また地鳴きで「チャッチャッ」とも鳴く。
食性は動物食で、昆虫、クモ類を食べる。

繁殖期は5-8月で、4-6卵を産む。一夫多妻制でオスは営巣のみを行い、抱卵、育雛はメスが行う。
森の中のがけ地や大木の根元などにコケ類や獣毛等を使って壷型の巣を作る。オスは自分の縄張りの中の2個以上の巣を作り、移動しながらさえずってメスを誘う。オスが作るのは巣の外側のみで実際の繁殖に使用されるものは、作られた巣の内の1個のみであり、巣の内側はオスとつがいになったメスが完成させる。
巣自体にも特徴があり、通常の壷巣は出入口が1つのみだが、ミソサザイの巣は、入口と出口の双方がそれぞれ反対側に設計されている。抱卵・育雛中の親鳥が外敵から襲われると、中にいる親鳥は入り口とは反対側の出口から脱出するといわれている。巣の表面はコケなどでカモフラージュされているため目立たない。

photo 朝戸夕子
report 芹沢七十郎

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茅ヶ崎の野鳥たち 北部の丘陵編 (032) ウグイス

2023年5月12日、茅ヶ崎市の 丘陵に住む我が家の近くで、このところウグイスの大きなさえずりが毎日聞こえます。
お隣の小さな女の子がそれをまねて、ホケキョ ホケキョと叫んでいます。


次の文章はWikipediaから引用したものです。

さえずるのは縄張り内を見張っているオスで、「ホーホケキョ」が他の鳥に対する縄張り宣言であり、巣にエサを運ぶメスに対する「縄張り内に危険なし」の合図でもある。「ケキョケキョケキョ」が侵入した者や外敵への威嚇であるとされており、これを合図に、メスは自身の安全のためと、外敵に巣の位置を知られないようにするためにエサの運搬を中断して身をひそめる。

日本ではほぼ全国に分布する。一部地域では夏に山地で過ごし冬季に平地へ移動する漂鳥であるのに対し、移動を伴わない地域では留鳥となる。

平地から高山帯のハイマツ帯に至るまで生息するように、環境適応能力は広い。笹の多い林下や藪を好むが、さえずりの最中に開けた場所に姿を現すこともある。英名の「Bush Warbler」は藪でさえずる鳥を意味している。警戒心が強く、声が聞こえても姿が見えないことが多い。

体長はオスが16cm、メスが14cmで、スズメとほぼ同じ大きさ。体色は、背中がオリーブ褐色で、腹面は白色、全体的に地味である。雌雄同色。

ウグイスの卵の長径は1.8cm、ホトトギスの卵の長径は2.2cmで、色はほぼ同じで、ホトトギスの托卵対象となる。

さえずりは「ホーホケキョ、ホーホケキキョ、ケキョケキョケキョ……」、地鳴きは「チャッチャッ」。

東京都台東区鶯谷の地名の由来は、元禄年間に京都の皇族の出である公弁法親王が「江戸のウグイスは訛っている」として、尾形乾山に命じて京都から3,500羽のウグイスを取り寄せて放鳥し、以後鳴きが良くなりウグイスの名所となったという逸話に由来する。

photo 朝戸夕子
report 芹沢七十郎

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茅ヶ崎の野鳥たち 北部の丘陵編 (031)イカル

2025/3/28 画像追加

芹沢・堤では、今年もたくさんのイカルがやってきています。似た種の、今年は 数えるほどしか見かけないので心配しています。相次ぐ山火事や、戦火に 巻かれていないだろうかなあと心配しています。 朝戸夕子

Wikipediaに次のように書いてありました。
全長は約23cm。太くて大きい黄色い嘴を持つ。
主に樹上で生活するが、非繁殖期には地上で採食している姿もよく見かける。木の実や草の種子を採食する。時には、昆虫類も食べている。冬季にはジュズダマの実や刈田に残った籾を食べたりする。ムクノキの実や木の芽などの柔らかいものを好んで食べるが、硬い木の実も食べる。
繁殖期はつがいで生活するが巣の周囲の狭い範囲しか縄張りとせず、数つがいが隣接してコロニー状に営巣することが多い。木の枝の上に、枯れ枝や草の蔓を組み合わせて椀状の巣を作る。産卵期は5-7月で、3-4個の卵を産む。抱卵期間は約14日。雛は孵化してから14日程で巣立つ。
非繁殖期は数羽から数十羽の群れを形成して生活する。

photo&report 朝戸夕子

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『郷土ちがさき』157号 2023(R5)年5月1日発行

◎表紙
 ・画像 史跡文化財めぐり「市内下寺尾を訪ねる」
 ・アバターたちの史跡めぐり(平野文明)
◎投稿
 ・茅ヶ崎の海 よもやま話 – 6 -「根」の話(名取龍彦)
 ・日本全国1724地方自治体にある字・小字の「中島」を調べる(羽切信夫)
 ・相賀越前守忠相ノート – 1 – 従五位下 越前守忠相(石黒 進)
 ・補遺 市内の陣屋跡 下寺尾の松平氏陣屋跡(平野文明)
◎風(自由投稿欄)
 ・歌 六首(今井文夫)
◎事業報告など
 ・第303回史跡文化財めぐり 茅ヶ崎市下寺尾を訪ねる 報告(平野文明)
 ・同 参加者の声(染谷倫人)
 ・第304回史跡文化財めぐり 伊勢原市に丸山城址と太田道灌などの史跡を訪ねる 報告(平野文明)
 ・同 参加者の声(前田照勝)
 ・事業予定 事業報告 157号正誤表 編集後記

下の画像をクリックするとPDFファイルが開きます。

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思い出の茅ヶ崎 森上義孝の世界

森上義孝さん
昭和17年(1942)生まれ。少年時代から茅ヶ崎市で過ごし、生物好きになる。
1965年、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。在日米医療本部生物研究所で標本画のイラストレーションを描く。1969年からフリー。動物図鑑や出版・広告のイラストレーションを手がける。
月刊『BE―PAL』誌で人気連載だった「ウイークエンド・ナチュラリスト」の図版を10年にわたり描く。毎年出るカレンダーは今も人気アイテム。イラスト作品に『絵本版ファーブルこんちゅう記』『ヤイロチョウ』『微生物が森を育てる』などがある。
朝日広告賞、全国カレンダー展通産大臣賞ほかを受賞。
茅ヶ崎の自然環境を守る保護活動に貢献。「茅ヶ崎野外自然史博物館」の代表(初代館長)を務めたこともある。

ここに紹介する絵は、ネイチャー・アーティストの森上義孝さんが、昭和20年代から30年代の茅ヶ崎を描いた水彩画で、自身の目を通して写された風景です。その頃は自然があふれていた茅ヶ崎を想像しながらご鑑賞ください。今後も順次このサイトで掲載していきます。
                   2023年1月 茅ヶ崎郷土会

(01) 松尾川

画像をクリックすると大きな画面に変わります。

昭和20年代後半~30年代中期(1950~1961)の風景。
現在の浜見平の住宅街の建設前の松尾川の様子。
住宅建設と同時に三面コンクリート製の雑排水路となった。以前はJR東海道本線に架かる小さなガード(鉄橋)の下を通り、水田地帯の中を流れ、水田をうるおしつつ、やがて小出川に合流していた。
川筋の両側に広がる豊かな水田や流れに、フナや小型のコイ、クチボソ(モツゴ)、ドジョウ、ウナギ、ナマズなどの魚たちの良き棲息場所でもあり、水生生物の宝庫であった。
水生昆虫も豊富であった。ゲンゴロウ、タガメ、ミズカマキリが、すくうタモによく入った。夏の夜、夜釣りに行くとヘイケボタルもあちこちに飛んでいた。

絵 森上義孝
文 森上義孝

関東大震災前には、北方向から流れ下る小出川と東方向から来る千ノ川が下町屋で合流し、東海道本線の鉄橋下を流れ下って、名を「松尾川」と変え、南湖と松尾・柳島の間を南流して、最後は相模川河口に落ちていた。
掲げた地図は、古い流れがわかるものを用いたので、森上さんの絵の時代とは違っている。
関東大震災で相模川河口付近の土地が隆起したため、松尾川は出口を失った。松尾川を相模川に落とすために、小出川・千ノ川の川の合流点あたりから、南西方向に流れを変える工事が行われた。そのために松尾川は流れを失っていく。今は細い流れとなって、その大部分は暗渠になっている。
流路を変える工事は徐々に進められたようで、昭和30年代はじめの地図では、流れが細くなった松尾川が描かれている。
森上さんの絵には柳島の水田が広がり、その向こうに松尾の集落がが描かれている。この水田は現在は浜見平団地になった。
水量を保った松尾川の終わりの頃の様子と思われる。
(平野文明会員)

現在の松尾川の残存部分
暗渠になっている松尾川

(写真 名取龍彦会員)

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