芹沢の稲荷講 2018/2/12 (月 休日) 晴

稲荷社の掃除から始まる

祭りの前
まず、稲荷社の掃除

快晴でしたが北風の冷たい一日でした。
芹沢にある四松稲荷講(よつまついなりこう)の、平成30年(2018)の集まりは2月12日午前中、稲荷様の祠(ほこら)の前で行われました。
場所は、小出二本松から芹沢西部自治会へ降りてゆく道路の途中から折れて、急な斜面を登り切った森の中でした。
稲荷講は境内と祠の掃除から始まりました。

祠(ほこら)に納められていた品々


 

稲荷社の覆い屋を開けると、中に立派な祠(ほこら)がありました。
その祠の中に4枚の棟札が納めてありました。
写真の左から、
明治20年(1887)
明治33年(1900) 「再建」(以下3枚は裏面に記載)
昭和4年(1929) 「新築」
昭和35年(1961) 「本殿基礎 狛犬 大門階段」 の棟札でした。

古い幟も一対ありました。嘉永三庚戌(1850)、北月松亭謹書とありました。江戸時代の貴重な幟です。
そのほかに、一抱えもある木製の蓋付き箱に、稲荷講を行ったときの経費を書き留めた講中帳や、境内の手入れの出金を綴った文書などもありました。
たくさんありましたので全部は見ることが出来ませんでしたが、最も古い年号は、明治二年巳二月日(1869)とある稲荷講覚帳のようでした。
この日、O会員と二人で訪ねる予定でしたが、O会員は風邪で足止めを食い、私一人。宝の山に踏み込んだ気持ちでした。

伏見稲荷から勧請(かんじょう)

さらに驚いたのは天保七年正月吉日(1836)の年号と城州(じょうしゅう)紀伊郡 稲荷本宮の文字が読める木製の小さな箱があったことです。
今の京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社から江戸時代に迎えられたことを表しています。この箱はご神体を入れて、伏見から運ばれたものでしょう。
市内には数え切れないほどの稲荷様が祭られていますが、いつ、どこから迎えたのかをはっきり示している例は多くはありません(調査もされておりませんが)。
これは、この地に稲荷信仰が広まった頃の事情を示す超一級の資料です。

掃除が終わって稲荷様に礼拝

稲荷様へのお供え
稲荷講には「赤いご飯」を供える習わしです。
赤飯ではなく、小豆をまぜて炊いた普通のご飯です。
それを稲わらで作った「つとっこ」で包んで供えます。稲荷様の好物のあぶらげも供えられました。
お供えが揃うと、講中の皆さんで礼拝です。

直会(なおらい)

アジの開きなどを焼いて直会の準備
乾杯!

祠の前で、お供えを下ろして直会です。まず乾杯。
私もお相伴にあずかりました。
吹き上げる北風は冷たかったですが、煮物も赤飯も、掛けのうおの干しアジもおいしかったです。

四ツ松稲荷講の皆さんです。
いつまでもお邪魔しては悪いと一足先に山をおりました。
高台から見下ろした西組の風景です。
左の写真の幟旗は新調されたものです。
四松稲荷講の皆さん、ありがとうございました。
この日の稲荷講の次第は、機会を見つけて事例報告させてもらおうと思っています。

photo & report 芹澤七十郎

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“芹沢の稲荷講 2018/2/12 (月 休日) 晴” への1件の返信

  1. はじめてコメントさせていただきます。
    茅ヶ崎は小出の出身で、茅ヶ崎の歴史についての様々な記事、興味深く拝見してます。

    小出にゆかりのある記事、大変うれしく拝読しました。
    天保年間にお迎えされたお稲荷さんとのことですが、それから200年に近い年月を、このように地域の方々が連綿と支えてきたことに、感動しました。
    長い歴史がありながらも、どこか等身大な様子の講のレポートに、生活に根ざす伝統のあり方を感じました。

    これからのご活動の記事も、また楽しみにさせていただきます。

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