こんにちは!花たち ヤブラン(藪蘭)・ヤブミョウガ(藪茗荷)・コロナ雑記

茅ヶ崎市芹沢から、近所や庭に咲く野草たちを紹介します。

2020年7月27日(月)
昨日は強雨に見舞われました。曇っていますが今日はまだ降りません。

ヤブラン

コロナ雑記

朝日新聞 2020年7月8日(水)に水島治郎さん(千葉大学教授 政治学) 「『中抜き政治』巧みに活用」という文章が掲載されていました。

「中抜き政治」とは聞き慣れない言葉ですが、著者の説明は次のとおりです。

日本では、町内会、婦人会、青年団、農・商工団体、労働組合…(これらを「中間団体」という)に属する人びとが、団体を通じて政党政治に関わってきた。それがこの30年でこれらの団体は急激に衰えた。今は、情報技術(IT)のSNSなどを駆使して有権者に直接メッセージを届ける政党や政治家が現れて「中抜き政治」の時代となった。それがコロナ禍で一気に加速した。

私(HP編集者)は、「そりゃそうかもしれないけどな~」と軽く読んでいたのですが、ビックリしたのは最後の「経済や社会でもコロナ禍は『中抜き時代』を一気に招き入れると見ています」の数行でした。

コロナ感染者が増えて、私の所属している自治会も、氏子組織も、地域の他のいろいろな団体も活動を止めています。(これらを通じて特定の政党に結びついている訳ではありませんが。)そして、私にとって一番強い影響を受けているのが、我が茅ヶ崎郷土会の活動休止です。

私たちの会が幾つかの面で運営上の問題を抱えているのは、コロナ禍の前からでした。やっていることは違っていても、同じ問題を抱えている市民の団体・サークルが増えているなと感じていました。私たちのような市民活動団体も、「中間団体」のように衰退期を迎えているのかも知れません。そこにコロナ禍は強く影響しています。現に、活動を自粛していてそのまま解散した勉強会もあるのです。

生き残ることが出来るのか、出来ないのか、コロナ禍はそれを振り分ける網の目のように思えるのです。

ヤブミョウガ

photo & report 石野文蔵

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2020年から48年前の風景 国道一号市役所前交差点の地下道工事

1974年(昭和49年)11月撮影
茅ヶ崎市役所前交差点
・2020.07.25 写真一点追加

地下道工事はじまる

手前が北、向こうが南です
自動車が走っている所は国道一号
その向こうに茅ヶ崎駅があります この写真には写っていませんが

それまで国道は横断歩道で渡っていました
矢板を打って土を取り去る工事が始まりました

2020年の風景

約半世紀経った今の様子

昔の写真と同じ位置から撮影
正面に見える屋根は地下道への入口
国道一号の南側から市役所方面(北)を見た様子です
写っている白い建物は茅ヶ崎市役所です
平成19年に取り壊されて、今は新しい建物になっています
最初の写真と少し角度を違えて、北側から見た様子です
市役所は画面の右側にあります
図書館に勤めていたSさん
撮影中にたまたま通りかかりました
乗っている自転車は、図書館と市役所の連絡用公用車です
後ろの建物は市役所
工事現場の一部が写っています

photo & report 平野会員

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2020年から48年前の風景 昭和47年の郷土会史跡・文化財めぐり(伊勢原市)

茅ヶ崎郷土会の「史跡・文化財めぐり」は令和元年度で297回を数えているが、今年度は新型コロナウィルスのために行っていない。

古い写真を整理していたら、「1972年(昭和47年)5月撮影」と注記したフィルムが出てきた。撮影したのはこのHPの編集者、つまり私。
訪ねた先は伊勢原市の高部屋地区で、上粕屋の比比多神社と洞昌院の太田道灌の墓所などが写っていた。会員外だったが、同行させて貰ったかすかな記憶が残っている。

郷土会が史跡・文化財めぐりで何時、どこを訪ねたかは『創立五十周年記念 郷土ちがさき百号の歩み』(2004年発行)に、1回目は昭和46年(1971)と記されている。(昭和28年に産声を上げた郷土会が、それまでめぐりをまったくやらなかったということは考えられない。おそらく記録がないのだろう。)
同書の昭和47年を見ると、6月25日に「大山に行こう(一泊)」とあった。これがここに紹介する伊勢原めぐりだったのなら、「5月撮影」とある編集者のメモは日付が違っていることになる。私も同行しているのは間違いないが、大山に泊まった記憶はまったくない。
そのときの画像を紹介しよう。

高部屋地区の上粕屋1160(伊勢原市を過ぎて大山に向かう途中)にある子易明神比比多神社でお話ししている野崎薫会員。当時、副会長ではなかったろうか。
1972年当時の比比多神社

上の写真(左)は訪れたときの様子。右の写真は現在の様子。
1988年(昭和63年)に屋根が改造されて、見違えるように変わっている。
相模国三之宮で延喜式内社の比々多神社と社名は似ているが、別の神社である。
昔から子易明神(こやすみょうじん)といわれ、安産、子授けの神様として知られている。
向拝の柱が、2本とも細くなっているのは、削って持ち帰ると安産の願いが叶うということで削られた結果である。

   

奉納された底抜けの柄杓(ひしゃく)
底のない柄杓は、くんだ水がドッと抜けるので、安産祈願の人たちが願を掛けるときに奉納したもの。
郷土会で訪れたときはたくさんあったが、最近行ったときは見られなかった。

1972年当時の郷土会々長 塩川健寿さん
向かって右は山口金次会員
左は鏡勝吉会員
山口さんは茅ヶ崎の郷土史の研究に邁進された。
鏡さんは彫刻家で、茅ヶ崎市堤の大岡家の墓所がある浄見寺の巾着の形の賽銭入れなどを作られている。また市文化資料館が開館するとき、河童徳利と縄文土器を彫刻して貼り付けた小型絵馬形の記念品も作られた。
比比多神社と同じく上粕屋にある洞昌院(曹洞宗)の太田道灌の墓も見学した。
道灌はこの寺の開基だそうである。
この日、コースを説明してくださったのは地元の郷土史研究者だったように覚えている。

photo & report 平野会員

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茅ヶ崎の野鳥たち 南部の海辺編 (52)タゲリ 

茅ヶ崎の南西部(主に柳島の海岸)で見かけた野鳥たちをアイウエオ順に紹介しています。生態の説明文の一部は『ぱっと見分け観察を楽しむ 野鳥図鑑』(ナツメ社刊)から引用しました。  【杉山 全】

何時のころからでしょうか。
茅ヶ崎市西久保の、冬の田んぼにタゲリが来ていました。
もう20年近く以前になりますが、その様子を撮影していましたので紹介します。
最近はその姿を見たという話は聞きません。

タゲリ

茅ヶ崎では、西久保の「タゲリ米」で有名になった鳥。タゲリの来る田で収穫した米をタゲリ米と呼んでいました。
歌舞伎役者のくま取りのような顔と、まげのように長い冠羽が特徴のチドリ類。
農耕地、水田、草地などの見通しのよい開けた場所に群れていることが多く、比較的乾いた環境を好むと言われています。
数歩歩いてはすっと立ち止り、足で池面を細かくたたくような動作をしながら昆虫を捕食します。

 

田んぼで捕食するタゲリたち
夏にユーラシア大陸の中部で繁殖し、冬には越冬のために南の国に渡りますが、関東地方も越冬地の一つになっています。

「北部の丘陵編」に収めた平塚市内で撮影のタゲリはこちらをクリック

photo & report 杉山会員

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2020年から46年前の風景 南湖の地引き網

1974年5月2日撮影
茅ヶ崎市南湖の海岸

地引き舟

茅ヶ崎では江戸時代から地引き網漁が盛んでした。
主に捕れていたのはイワシの類で、太陽に干して干鰯(ほしか)に仕上げていました。
干鰯は食べものではなくて、田や畑にいれて肥料にするものでした。相模国の中央部に広がる農村部で消費されていました。
昭和の時代になるとその干鰯の生産はしだいになくなりました。
そして地引き網は、お客さんを呼んで行う観光漁業の中で続けられていました。

漁に出る前に、網(地引き網)を整えて船に積み込みます
出漁です
浜から海へ舟を押し出します
今日はどんな魚がとれるかな
沖に出るとグルリと回りながら網をおろしていきます
網を張り終わると舟を戻します
舟はバックしながら砂浜に乗り上げます
舟が着くと網から延びている綱を引きます
この日のお客さんはどこかの子ども会のようでした

photo & report 平野会員

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