郷土会 Study Room 山本俊雄さん 源 邦章さん「 鎌倉北条氏と小田原北条氏」 2018.7.17(火)

今年度3回目の郷土歴史民俗勉強会
山本俊雄さんによる「鎌倉北条氏」
源 邦章さんによる「小田原北条氏」
のお話でした。
この催しは「ちがさき丸ごと発見博物館の会」との協働事業です。

ほぼ毎月、第3火曜日の午前中に開きます。
場所は福祉会館を使うことが多いのですが、この日は祝日の翌日で休館だったため、市役所のコミュニティーホールA会議室を確保して行いました。
会員ではない方も参加できます。
資料作成・会場費などのために、会員は200円、会員外は300円の負担をお願いしています。「参加できます」(上から目線のようですみません)と書きましたが、実はなるべく多くの方に来て頂きたいのが本音です。

昨年度、29年度の茅ヶ崎郷土会の史跡めぐりは鎌倉市と小田原市でした。
その様子は、当ホームページの<今まで行った史跡めぐり>に一部掲載してあります。

この鎌倉・小田原史跡めぐりに関連して、両地の北条氏をテーマに取り上げ、それぞれを会員の山本俊雄さんと、源 邦章さんが語って下さいました。
山本さんのお話は、伊豆での北条氏の出自から元弘3年(1333)に北条氏が滅び、鎌倉幕府が消滅するまでの中で、並びいる有力御家人を次々と倒していく事例を紹介されました。
正治元年(1199)梶原氏、建仁3年(1203)比企氏、元久2年(1205)畠山氏、建保元年(1213)和田義盛、承久元年(1219)実朝(裏に北条氏)、承久3年(1221)後鳥羽上皇など(承久の乱)、宝治元年(1247)三浦氏、弘安3年(1285)安達氏、永仁元年(1293)平 頼綱等々が潰えていきました。
この折々に、北条氏は味方をする御家人たちと共にあり、一方潰える方は孤独な戦いを強いられており、北条氏のそのような策略・戦法がなぜ可能だったのかという問題に大きな興味を引かれると、講師の山本さんは語っておられました。

続いて、小田原北条氏について源 邦章さんのお話。

備中国(現 岡山県)出身の伊勢宗瑞(いせそうずい)は、山城(京都)、駿河(静岡県)、伊豆(静岡県)を経た後に、小田原を本拠にして相模国と伊豆国を領する戦国大名となりました。
二代氏綱、三代氏康と代数を重ねるごとに関東に領地を拡張し、四代氏政、五代氏直時代には上野国(群馬県)、下野国(栃木県)まで勢力を伸ばしましたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めに、氏政は自刃し、氏直は高野山へ追放となり、小田原北条氏は潰えました。
源流の小田原北条五代記を語って下さいました。

8月の郷土歴史民俗勉強会
8月21日(火)
「伊勢参り」 お話は平野文明会員
長く続いた伊勢信仰の話も、伊勢参りで終了します。
場所 茅ヶ崎福祉会館集会室6
時間 10時~12時
資料代など 会員200円 会員外300円

(photo・report 平野会員)

平成30年 茅ヶ崎海岸浜降祭 18/07/16 晴天

7月の海の日、茅ヶ崎は浜降祭一色に染まります。平成30年は、寒川町にある寒川神社と茅ヶ崎市の鶴嶺八幡社をはじめ、子供神輿も含めて各神社のお神輿、約40基が茅ヶ崎の海岸に集まって、みそぎ祓いの神事が行われました。

神事の最後に、関係者によって玉串の奉奠が行われます。茅ヶ崎郷土会も以前から玉串を捧げる一員になっています。
レポーターは、今年はたまたま芹沢にある腰掛神社の役員を仰せつかりましたので、準備段階から浜降祭に携わりました。
玉串奉奠が行われるとき、腰掛神社をちょいと抜けて、郷土会会員として玉串を捧げてきました。
準備段階から写真を撮りましたので、今年の浜降祭の流れを紹介しようと思います。

お神輿と一緒に大勢の担ぎ手が海岸に行きます。その担ぎ手が神事の間に休む場所を確保しなければなりません。場所取りに、祭りの前々日の14日夕方、だいたい決められているその場所に杭を打ってテープをめぐらし「ここは腰掛神社の休憩所だよ」のしるしをします。

前日にはお神輿を納める場所を整える仕事があります。この場所も事前に決められています。腰掛神社のお神輿は以前から寒川神社の隣に納めることになっていて、向かってその左側です。
竹竿の先にサカキの枝を指し、神社名を書いた幟を立てておきます。幟を竹竿に巻き付けてあるのが、腰掛神社の場所です。
この日は海風の強い日で、竹竿を立てるに苦労しました。

寒川神社の場所は、2~30㎝ほど砂を盛って高くしてあり、そこにハマゴウの小枝と海藻が敷いてありました。浜降祭の始まりを語る話の中で、海から拾い上げられたお神輿を砂浜に置くのは恐れ多いことなので、これらを敷いた上に据えたということになっています。

各地のお神輿は、夜中の2時、3時にそれぞれの神社を出立します。海岸に着く頃ようやく夜明けです。
腰掛神社の神輿は大型トラックに乗せられて、比較的早く到着しました。担ぎ手はチャーターした2台のバスに乗りました。各神社のトラックとバスが続々と集まりますので、国道134号は規制されます。
トラックから降ろされたお神輿は海岸を目指します。

前々日に用意した休憩所にも次第に人が集まります。
そのすぐそばには屋台店が列をなし、順次店を開けていきます。



次第に休憩所も満員状態になります。
屋台店からは良いにおいが漂ってきます。




明るくなるに従ってお神輿の数も増えます。見物の人たちもどんどん増えてきます。






芹沢は、茅ヶ崎市の一番北の端に位置しています。朝の2時に宮立ちした腰掛神社の神輿振りです。




広い海岸を、あっちに行ったりこっちに来たりしながら、お神輿が決められた場所に納められると、神事が始まります。40基ほどのお神輿がすべて着座するのに3時間ほどかかりました。
神事は予定どおりに7時から始まりました。
神社ごとに海のもの、山のもの、お神酒が供えられます。



やがて祝詞が読み上げられます。祝詞奏状は寒川神社の宮司さんです。
祝詞が終わると、参加神社や関係者が玉串を供えます。
神事が始まってここまでに約1時間かかりました。
砂浜を真夏の太陽が遠慮会釈なく照りつけます。
その間ずっと立って神事を行う神職の皆さんも大変でしょうが、椅子は用意してあるものの、参列している方も大変でした。
帽子は持っていましたが、神事の間は被っている訳にはいきません。
年々薄くなる頭髪は太陽光線をさえぎる力もなく、脳みそが煮えるようでした。
茅ヶ崎郷土会としましては玉串奉奠の画像が欲しかったのですが、カメラを構えるのも遠慮しましたので、肝心の画像は無いのです。

photo & report 芹澤七十郎