郷土会 Study Room 名和稔雄さん「南湖院の人々」 2018.06.19(晴)

まるごと博物館の会と共同で行っている催しで、平成30年度2回目の勉強会でした。

会場は茅ヶ崎市福祉会館の集会室6。10時から11時30分まで行われました。

今回のお話は名和稔雄さん。
茅ヶ崎郷土会に長く在籍され、平成27年度まで副会長、今は相談役についておられます。また、担当を降りておられますが、当会の会報「郷土ちがさき」の編集員もつとめられました。
今回はその名和さんに打って付けの南湖院(なんこいん)のお話でした。

茅ヶ崎に住む方には南湖院はよく知られていますが、ご存じで無い方に向けて、簡単に説明しておきます。
南湖院は茅ヶ崎市南湖(なんご)にかつてあった、結核の治療をもっぱらとした病院です。明治32年(1899)に医者の高田畊安(たかたこうあん)が開院し、太平洋戦争の終戦直前、昭和20年(1945)に畊安の死去とともにその役目を終えました。

南湖院には数々の有名人が入院していました。たとえば国木田独歩は明治41年(1908)6月ここで亡くなっています。
名和さんのお話は、開院者であり院長だった高田畊安の紹介から始まりました。

神田駿河台で結核の治療にあたっていた杏雲堂(きょううんどう)病院が、明治29年(1896)に茅ヶ崎の隣の平塚に病院を開きました。南湖院の開院はその3年後のことで、相模川を挟んで両方に結核治療の病院ができたのは、南湖院院長高田畊安の、杏雲堂平塚病院の開設者佐々木政吉へのライバル意識のせいではないかという名和さんのお話でした。

そして院長を慕って宮城県から移ってきた医師、高橋誠一のこと、平塚雷鳥のこと等々と話は続きました。

このような地元の歴史に関するお話は、時を変え場所を変えて、何度も行うことが大切だと思いました。

今後の郷土歴史民俗勉強会は
7月17日(火)
場所は、市役所コミュニティーホールA会議室
時間は、10時~12時
内容は、鎌倉北条氏と小田原北条氏
お話は、源会員・山本会員
(場所がいつもの福祉会館と違っています)

8月21日(火)
場所は、福祉会館集会室6
時間は、10時~12時
内容は、お伊勢参り
お話は、平野会員

photo & report 平野会員

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茅ヶ崎かるた のカルタ取り 音貞オッペケ祭で 2018/6/3 (晴)

音貞(おとさだ)オッペケ祭が行われました。場所は松籟荘(しょうらいそう)。
このイベントに参加して、2日目の3日(日曜日 午後)、茅ヶ崎郷土会は、松籟荘の中にある茶室「松籟庵(しょうらいあん)」の書院を借りて茅ヶ崎かるたのカルタ取り大会を催しました。
こども向けとして計画したのですが、目的のこどもさんの参加が少なかったのがいささか残念ではありました。
それでも三戦が行われました。





赤ちゃんもこの日は貴重な参加者でした。





トップ賞はこの子。
賞状と賞品が、郷土会から贈られて、大得意でした。




松籟荘の庭では「音二郎版 ハムレット」が大勢の観客を呼んでいました。

茅ヶ崎民話の会 「九代目市川團十郎」

「音貞 オッペケ祭」の「音貞」は、明治35年、この地の近くに「萬松園(ばんしょうえん)」という自宅を構えた川上音二郎と貞奴(さだやっこ)夫婦によっています。
「ハムレット」のほかにオッペケ節や祭囃子、茅ヶ崎民話の会による「九代目市川團十郎」、茅ヶ崎高等学校の「乙女文楽―三番叟」なども行われました。
柳島いま・むかし会は茅ヶ崎のむかしおやつ 芋だんごを提供していました。
ちがさき丸ごとふるさと発見博物館の会は 随時一般受け付けで、松籟荘の中のみどころ案内30分を行いました。

この日、天気が良く、松ばやしの中をすずしい風が吹いていました。

photo 前田会員 平野会員
report 平野会員

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