天気予報は雨が近いと
釣れた! 魚は何だ!
photo 前会員
2021.10.19(火曜日 午後)
うみかぜテラスで行いました。
コロナウイルスの感染が次第に小さくなってきました。
このことを首を長くして待っていました。
コロナ蔓延のために8月の勉強会は中止したので、今年度やっと2回目の催しでした。
郷土会では2017年の4月から、「丸ごと博物館の会」と一緒に、市内 中島の歴史を調べています。今、原稿をまとめる段階ですが、歩みは遅く、「まだできないのか!」と言われています。
江戸時代、中島村の領主だった山岡氏について「丸ごと博物館の会」の加藤幹雄さんが説明してくださいました。
確保した会場は、コロナ対策として収容人数を18名に限定されています。何人集まってくれるかヒヤヒヤしながらの開会でしたが、スレスレでOKでした。
加藤さんが準備された資料の主なものは
①『寛政重修諸家譜』に掲載されている山岡家々譜の全てのコピー
②東京の山岡家に家蔵されている「先祖書」。これはまだ活字になってなくて、茅ヶ崎市が保管するマイクロフイルムを、山岡家から了承を頂いてその一部を解読したもの
③山岡家が開基になっている市内浜之郷の龍前院に残る山岡家代々の墓石資料。郷土史家の故山口金次さんの研究成果も取り込まれていた。
④そのほか、江戸時代の旗本、御家人、大名などの職制、装束などの資料。
などなどでした。
加藤さんは 『寛政重修諸家譜(寛政譜)』 の山岡家歴代の記載を読みながら次の様に話されました。
◎3代山岡景長(中島・浜之郷村領主としては初代)が天正19年(1591)に中島村(80石)と浜之郷村(220石)を宛行(あてが)われたことから山岡家と茅ヶ崎との関係が始まる。
◎寛政譜には12代山岡景風まで記されている。その後の13代景命、14代景良、15代景行(太郎)については「先祖書」の記載を紹介する。
◎3代山岡景長の弟、景正は寛政譜に「兄(景長)の采地(領地)の相模国遠蔵村(浜之郷村のこと)に住す」とあるが、今まで茅ヶ崎では景正について不明とされていた。今回、龍前院に祭られている一族の墓地を調べ、その墓石を発見した。(編集者注記 これは快挙と言えます。)
茅ヶ崎の殿様の一人である山岡氏について深く勉強することができました。
photo & report 平野会員
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年間を通して出会えますが、春から夏にかけて、朝4時ころから、恐竜なのかと思ってしまうような大きな声で鳴いています。
その鳴き声は「チョットコイ チョットコイ」とか「ビッチョコイ ビッチョコイ」と聞きなされています。
いくつかの説があるようですが、大正時代に狩猟用に中国からもたらされたもののようです。
小出地区ではよく見かける鳥です。
集団行動が多いので、一羽に出会うとその後から家族がぞろぞろ出てきます。
移動するのに空を飛んでいる姿は見ることがありません。普段は地上を歩いています。捕まえることが出来そうな歩き方なので追いかけると素早くヤブにもぐり込んで逃げます。そのときバッと短く飛ぶこともあります。
知人づたいに、
「コシアカツバメを探されている自然保護団体の方がいる」
と聞き、先日、柳島海岸で撮った写真をその方に送らせていただきました。
貴重な野鳥のようなので、こちらにも掲載しておきます。
毎年訪れてくれる自然豊かな茅ヶ崎であり続けたいですね。
2021年6月、柳島海岸にて撮影した、コシアカツバメです。
(朝戸夕子)
腰の所が赤いところからその名が付いています。
なお、南部の海辺編にも杉山さんが掲載しています。
(編集子)
photo & report 朝戸夕子
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