例年のように、南湖中町にある稲荷神社(南湖3-4-6)の初午祭が中町東組、中町西組の稲荷講講中により行われました。
photo 尾高会員
〈茅ヶ崎 、点(てんてん)―目次―へ〉
〈フロントページへ〉
平成31年1月14日(月)晴
今年は第二月曜日に当たり、成人の日の祝日でした。
湘南地方ではむかしから、1月の14日か15日にサイトヤキが行われていました。
今年は14日が祝日だったので茅ヶ崎市内の各地でいっせいに行われました。
柳島は相模川河口の東側にあります。
江戸時代には回船も行われていました。
八幡宮は柳島の本村(ほんむら)の鎮守です。
最近はダンゴヤキとかドンドヤキという人が多いようですが、昔からの呼び方はサイトバライ、あるいはサイトヤキ。
お正月に飾ったダルマやしめ縄を燃して、その火でダンゴを焼いて食べると虫歯にならないとか、病気にならないといいます。
(photo:sugiyama会員)
サイトヤキはサイノカミ(道祖神)のための火祭りで、この神様の前で行うのが昔からのやり方です。
八幡宮の境内に祭られています。文化3年(1806)に建てられました。今年から210年前です。
向かって右が男の神様、左は女の神様。 男のサイノカミは御幣のようなものを持っておられます。
柳島の集落は、本村(ほんむら)と河岸(かし)に分かれていました。河岸は今は柳島海岸と住居表示されています。
柳島海岸では鎮守の厳島神社の境内で行われました。
(Photo:maeda会員)
サイノカミ(道祖神)には「大正三年一月十四日」と彫ってあります。
今年から105年前に建てられたものです。
report:hirano会員
〈茅ヶ崎 、点(てんてん)―目次―へ〉
〈フロントページへ〉
快晴でしたが北風の冷たい一日でした。
芹沢にある四松稲荷講(よつまついなりこう)の、平成30年(2018)の集まりは2月12日午前中、稲荷様の祠(ほこら)の前で行われました。
場所は、小出二本松から芹沢西部自治会へ降りてゆく道路の途中から折れて、急な斜面を登り切った森の中でした。
稲荷講は境内と祠の掃除から始まりました。
稲荷社の覆い屋を開けると、中に立派な祠(ほこら)がありました。
その祠の中に4枚の棟札が納めてありました。
写真の左から、
明治20年(1887)
明治33年(1900) 「再建」(以下3枚は裏面に記載)
昭和4年(1929) 「新築」
昭和35年(1961) 「本殿基礎 狛犬 大門階段」 の棟札でした。
さらに驚いたのは天保七年正月吉日(1836)の年号と城州(じょうしゅう)紀伊郡 稲荷本宮の文字が読める木製の小さな箱があったことです。
今の京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社から江戸時代に迎えられたことを表しています。この箱はご神体を入れて、伏見から運ばれたものでしょう。
市内には数え切れないほどの稲荷様が祭られていますが、いつ、どこから迎えたのかをはっきり示している例は多くはありません(調査もされておりませんが)。
これは、この地に稲荷信仰が広まった頃の事情を示す超一級の資料です。
祠の前で、お供えを下ろして直会です。まず乾杯。
私もお相伴にあずかりました。
吹き上げる北風は冷たかったですが、煮物も赤飯も、掛けのうおの干しアジもおいしかったです。
photo & report 芹澤七十郎
〈茅ヶ崎 、点(てんてん)―目次―へ〉
〈フロントページへ〉
今年、平成30年の初午(はつうま)は2月7日の水曜日でした。
初午には稲荷様を祭ります。
昔は、前日の夜を「稲荷様の宵宮(よいみや)」といい、宵宮からお祭りを始めました。
茅ヶ崎市内にはたくさんの稲荷様が祭られています。家々で祭るケースと数軒から十数軒で稲荷講(いなりこう)というグループを作って祭るケースがあります。家には屋敷稲荷を祭り、講中(こうじゅう)にも入っているという家も多くあります。
稲荷講では、宵宮には、講中の子どもたちは稲荷様に集まって、差し入れの赤いご飯を食べたり、遊んだり、また太鼓を竿に吊して叩きながら近所をめぐったりしたといいます。
今はこのような習俗はなくなりましたが、家々で祭る稲荷様にも、講中で祭る稲荷様にも、幟(のぼり)を立て、お供えをしてお祭りをすることは行われています。
ただ、昔のように宵宮から初午の日に祭るところは少なく、初午を過ぎた休日に行うところが多いようです。
中島と南湖の稲荷講を紹介します。
中島では、家々で屋敷稲荷を祭っています。
中島には東チョウ、西チョウ、本宿(ほんじゅく)、二ッ谷(ふたつや)、ブドウ園
というチョウナイがあります。
東・西チョウは国道一号沿いにあります。東チョウと西チョウはチョウナイが別で、稲荷様の講中も別ですが、左近右近稲荷という一つの社殿の中に右近稲荷と左近稲荷を祭っていて、両チョウナイが一年おきに稲荷講を行っています。しかし、2018年は講中に不幸があって初午の祭礼は取りやめました。
本宿は鎮守の日枝神社や浄林寺があるあたりをいいます。
二ツ谷は産業道路より東側の一帯をいいます。二ツ谷のS家の稲荷様は二ツ谷の稲荷講でも祭っているようです。
ブドウ園は相模川に近く新しく開かれたチョウナイです。ブドウ園には屋敷稲荷を祭る家はないか、少ないようです。写真は2月10日(土)に撮影しました。
南湖(なんご)は上チョウ、中チョウ、下チョウ、茶屋町、鳥井戸に分かれています。(上町・中(仲)町・下町と書きます)
南湖は昔から漁師町でした。どのような理由があるのかわかりませんが、漁師町には稲荷様が多く祭られています。
上町で祭る金刀比羅神社の隣に宗教法人稲荷神社(南湖3-4-6)があります。
このお稲荷様を中町の東組講中と西組講中と上町の講中の三つの稲荷講中が支えています。今年は11日(日)にお祭りが行われました。
西講中と稲荷神社で保管する書類
講中で保管するものに、明治40年(1907)を初めとする講中帳、神社関係書類に昭和8年(1933)日付の市内十間坂、富田石材店からの石の鳥居設置の領収書、昭和11年(1936)に金刀比羅神社と交わした土地使用契約書などがあります。しかし、いつ稲荷様を勧請したかを表すものは見当たりませんでした。
昭和8年に建てられた鳥居
中島 report & photo 羽切会員
南湖 report & photo 尾高会員
四チョウナイのサイノカミとサイトヤキ
中島には四つのチョウナイ(二ツ谷・本宿チョウ・東チョウ・西チョウ)があり、それぞれに一カ所ずつサイノカミ(セーノカミともいう。道祖神)を祭っています。
2018年(平成30年)1月14日、そのサイノカミ祭りを記録しました。
正月14日・15日を小正月といいます。このころ火祭りを行う習俗は全国に広がっています。神奈川県内では、この火祭りはサイノカミの祭りとなっていて、サイトヤキとかセートヤキとか言われてきました。最近はどんど焼きとかだんご焼きと呼ぶことが多いようです。
このようなチラシが家々に配られました。
今年の小正月は土・日曜日に当たっています。昔からサイノカミは子どもたちの神様とされてきましたので、各地でにぎやかに行われました。中島ではこの日の祭りを「サイノカミのお日まち」と言ってきました。
国道一号(東海道)ぞいの東チョウと西チョウでは、幟が立ててありました。東チョウの幟には「奉献猿田彦大神 平成二十六年一月十四日 中島東組氏子中」とありました。
幟が立てられる前の、東チョウのサイノカミです。
国道一号に架かる馬入橋のたもとに祭る西チョウのサイノカミです。幟には「奉献道祖神 昭和五十八年 亥一月十四日 西町氏子中」と書いてありました。
正月の飾り物や古いお札などは、飾り終わるとサイノカミに預けます。西チョウのサイノカミです。
これは西チョウのものですが、東チョウと西チョウにはこのような灯籠も掲げてありました。昔はここで小屋を建てて子どもたちがその中でサイノカミを祭っていたことの名残と考えられます。
本宿チョウのサイノカミです。納められた御飾りでその姿が見えません。
14日(日)、10時から自治会館で団子作りが行われていました。団子は青、赤、白の三色。米の粉をこねて蒸して作ります。
本宿チョウのサイトヤキは親水公園で行われます。”ぶどう園”という、新しく移り住む人たちのチョウナイもここに集まります。
午後3時からと触れてあったので、団子を持った人たちが集まってきます。
団子は柳の枝に刺します。サイトヤキの火であぶった団子を食べると、虫歯にならないとか病気にならないとか言われてきました。
正月に書き初めをしますが、この火で燃します。燃えながら高く舞い上がると“手が上がる”、字が上手になるといいます。
昔はサイトヤキは子どもたちが行う祭りでした。その名残で、集まった子どもたちにミカンが配られていました。
この日は風のない良い天気でした。サイトヤキの火にあたった人たちは、この一年無事に過ごすことができることでしょう。
東チョウの北側の位置から撮影しました。
photo & report 平野会員