TV取材に対応しました 18/02/03(土)晴

TV取材と言ってもN○KとかT○Sとかに対応ではないのです。
小型カメラと三脚をかついでやって来たのは、東海大学文学部広報メディア学部一年生のお嬢さんお二人。
“ 平塚・茅ヶ崎市内の和菓子をテーマに作品を作るのだ ”
と元気いっぱい。
我が茅ヶ崎郷土会に何を聞きたいの?
に対する答えは、
“ 茅ヶ崎に牡丹餅立て場があって、牡丹餅茶屋とも言っていたということですが、それはいったい何だったのですか?”

それなら答えることができると、ウンチクを傾けたのでした。

傾け過ぎた感もありましたが、対応したのは源会員と平野会員、ほかに同席していたのは今井会員、山本会員。会員外で加藤さんという方も同席されておられました。

質問とウンチク返答は次々と広がって、

粟のぼたもちを出す茶屋があったよ、それで牡丹餅茶屋だな、
などと見てきたようなことも言いだす始末。

“ 南湖立て場もあったと聞いていますが ”
といきなり横から来た。
“ 南湖立て場ではどんな食べ物があったのですか? ”
お二人はいろいろ調べていて、なかなか手強いのです。

エーと、江戸時代にー、何という名前だったかなー、あっそうだ大田南畝という人が、江戸屋という店に休んでー、何か食べたという記録があるんだよなー 何を食ったのかなー

などと答えていると、別の会員から

松露(しょうろ)の吸い物とか、ひしこのなますとか書いてあるんじゃなかったかな

とフォローが出てくる。

こんな調子で撮影は進んだのでした。

それにしても今時の若い人はすごいと思ったのは、テーマは湘南の和菓子であるのに、茅ヶ崎にむかし「牡丹餅茶屋」があったことを見つけて、いつの間にか、昔の旅人は何を食べていたのかを調べ始めるという、その三段跳び思考の大胆さについてでした。そしてこういう発想も必要だなとつくづく思ったのでした。

“ これから和菓子屋さんを訪ねてお話を聞きます ”
の言葉で別れましたが、取材はうまく行ったのかと心配するのは、私たちの年のせいでしょうか。

[参考文献]牡丹餅立場―牡丹餅茶屋
水嶋善太郎著『小和田郷土物語』平成元年 p82
土御門泰邦卿『東行話説』 茅ヶ崎市史4 p224収録
南湖立場―江戸屋
大田南畝(蜀山人)『改元紀行』 茅ヶ崎市史1 p303~

report 平野会員
photo 加藤さん

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