茅ヶ崎の芹沢に雹が降る 2019.05.04(土) 

令和元年5月4日(土)

梅の木の若葉をたたき落としながら、庭に溜まった雹(ひょう)です。

5月4日(土)
鳴り物入りで突入した10連休は半ばを過ぎました。
前半は天気が今ひとつでしたが、今日は晴れて気温もあがると、朝のラジオが報じていました。午前中、予報どおりでした。しかし空気はヒンヤリしていました。
午後、2時半頃から、遠くで雷が鳴り始めました。
「これは洗濯物を取り込んどいたがいいよ」
話している内に雷様の音は次第に大きくなりました。
3時半過ぎて雨が降り始めました。
3時42分、土砂降りになりました。その中に白い粒が混じり始めました。
「霰(あられ)にしては大きいな」
「雹(ひょう)だよ」
5ミリ以上の大きさの氷の玉は「雹」というそうです。
見る見る間に、庭の低い所に氷の粒が溜まりました。
このあたりでは、そう見ることのできる光景ではありません。


庭に激突してしぶきをあげています。
踏み石の上は溶けにくいのでしょう。
こんなに溜まりました。
屋根瓦にも積もりました。
雨樋の無いわが家の屋根からは、雨が滝になって落ちました。

photo&report 芹澤七十郎

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大山と箱根 この冬はじめての雪

平成31年1月31日夜
カラカラ続きの関東地方に久しぶりのお湿り。
朝の天気予報では夜には雪になるかも知れないといっていた。
しかし茅ヶ崎あたりの平地では雨だった。
箱根と大山は白くなっていた。

箱根の山々 藤沢市打戻から
大山 茅ヶ崎市芹沢から

photo: 芹澤七十郎

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茅ヶ崎市消防団 第18分団 出初め式 ―芹沢

平成31年元旦
芹沢の腰掛神社で茅ヶ崎消防団 第18分団の出初め式が行われました。

(画像をクリックすると大きな画像で見ることができます)

宮司さんのご祈祷のあと、

整列して、

放水!

18分団に、日ごろの無事を感謝しながら、腰掛神社には一年の息災をいのりました。


photo & report 芹澤七十郎

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芹沢の来迎寺で百万遍数珠繰り念仏 2018/10/10(水) (晴)

浄土宗 芹澤山来迎寺

平成30年10月10日

茅ヶ崎市芹沢の来迎寺で百万遍の大数珠を回しながら念仏をとなえる行事が行われました。
来迎寺は山号を芹澤山といい、茅ヶ崎市芹沢3291にある浄土宗のお寺です。
芹沢の丘陵地の西の端にあって、西を向いて建てられています。
『新編相模国風土記稿』には、
本尊 阿弥陀、開山然誉善芳 永禄七年(1564)二月二十六日卒
とありますから、450年ほど昔に創設されたお寺です。

来迎寺から数百メートル離れたところに光照山普門寺というお堂が、平成28年8月まで建っていました。
『風土記稿』には来迎寺の寮なりと記されています。
普門寺のことを土地の人たちは下馬落觀音堂(げばらくかんのんどう)と呼んでいました。

今は無い観音堂(平成28年8月撮影)

観音堂の跡地(平成30年10月撮影)

ご本尊の木造観音菩薩立像はたいへん霊験あらたかで秘仏とされていて、このお堂の前を馬に乗ったまま通りかかると、その無礼によって落馬すると伝えられていたからです。
秘仏ですから33年経たないと拝めませんでした。またその半分の16年目には中開帳が行われてきました。
このお堂は地元の念仏講の人たちによって維持されてきましたが、世の移ろいとともに講中のメンバーが少なくなり、お堂も老朽化が進んだことから、平成28年9月に取り壊されました。中に祭られてきた本尊の観音様とその御前立の観音様、その他六観音のお像などは来迎寺に移されてお祭りされることになったのです。

観音堂で行われた最後の百万遍念仏

同年8月には観音堂で最後の百万遍数珠繰り念仏が行われました。
次の年、29年10月10日には、来迎寺に遷座して初めての百万遍念仏が行われました。
そして今年10月10日にも来迎寺で2回目の百万遍が行われたのです。
10月10日という日が下馬落觀音様のお祭り日だからです。

来迎寺に移ってからは、希望する人はこの百万遍念仏に参加することができるようになりました。
始めにご住職の開式があり、次に大数珠を回しました。最後に老僧による法話がありました。

開式の挨拶

ご住職の法話

厨子の前は御前立の観音様。ご本尊は厨子の中。

ご本尊の次のお開帳は2023年だそうです。

観音堂には元和3年(1627)から平成18年(2006)までの22枚の棟札が残されていて、これも来迎寺に移されています。
この中の最も古い年号銘の元和3年(1617)の棟札に、この年にお堂が再興されたと書かれています。
また、2番目に古い慶安4年(1651)銘の棟札には天文九年(1540)兵火にて失す 本尊は清水谷に安置なり しかるに元和三巳年、今の寺地へ再建とあります。このとおりだったとすると、冒頭に記しましたように来迎寺の開山然誉善芳の卒年は永禄7年(1564)と『風土記稿』にありましたから、観音堂の創建は来迎寺より古いことになってしまいます。

photo & report 芹澤七十郎

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