思い出の茅ヶ崎 森上義孝の世界

森上義孝さん
昭和17年(1942)生まれ。少年時代から茅ヶ崎市で過ごし、生物好きになる。
1965年、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。在日米医療本部生物研究所で標本画のイラストレーションを描く。1969年からフリー。動物図鑑や出版・広告のイラストレーションを手がける。
月刊『BE―PAL』誌で人気連載だった「ウイークエンド・ナチュラリスト」の図版を10年にわたり描く。毎年出るカレンダーは今も人気アイテム。イラスト作品に『絵本版ファーブルこんちゅう記』『ヤイロチョウ』『微生物が森を育てる』などがある。
朝日広告賞、全国カレンダー展通産大臣賞ほかを受賞。
茅ヶ崎の自然環境を守る保護活動に貢献。「茅ヶ崎野外自然史博物館」の代表(初代館長)を務めたこともある。

ここに紹介する絵は、ネイチャー・アーティストの森上義孝さんが、昭和20年代から30年代の茅ヶ崎を描いた水彩画で、自身の目を通して写された風景です。その頃は自然があふれていた茅ヶ崎を想像しながらご鑑賞ください。今後も順次このサイトで掲載していきます。
                   2023年1月 茅ヶ崎郷土会

(01) 松尾川

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昭和20年代後半~30年代中期(1950~1961)の風景。
現在の浜見平の住宅街の建設前の松尾川の様子。
住宅建設と同時に三面コンクリート製の雑排水路となった。以前はJR東海道本線に架かる小さなガード(鉄橋)の下を通り、水田地帯の中を流れ、水田をうるおしつつ、やがて小出川に合流していた。
川筋の両側に広がる豊かな水田や流れに、フナや小型のコイ、クチボソ(モツゴ)、ドジョウ、ウナギ、ナマズなどの魚たちの良き棲息場所でもあり、水生生物の宝庫であった。
水生昆虫も豊富であった。ゲンゴロウ、タガメ、ミズカマキリが、すくうタモによく入った。夏の夜、夜釣りに行くとヘイケボタルもあちこちに飛んでいた。

絵 森上義孝
文 森上義孝

関東大震災前には、北方向から流れ下る小出川と東方向から来る千ノ川が下町屋で合流し、東海道本線の鉄橋下を流れ下って、名を「松尾川」と変え、南湖と松尾・柳島の間を南流して、最後は相模川河口に落ちていた。
掲げた地図は、古い流れがわかるものを用いたので、森上さんの絵の時代とは違っている。
関東大震災で相模川河口付近の土地が隆起したため、松尾川は出口を失った。松尾川を相模川に落とすために、小出川・千ノ川の川の合流点あたりから、南西方向に流れを変える工事が行われた。そのために松尾川は流れを失っていく。今は細い流れとなって、その大部分は暗渠になっている。
流路を変える工事は徐々に進められたようで、昭和30年代はじめの地図では、流れが細くなった松尾川が描かれている。
森上さんの絵には柳島の水田が広がり、その向こうに松尾の集落がが描かれている。この水田は現在は浜見平団地になった。
水量を保った松尾川の終わりの頃の様子と思われる。
(平野文明会員)

現在の松尾川の残存部分
暗渠になっている松尾川

(写真 名取龍彦会員)

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